死ぬときを自分で決める時代。

ironさんと「死」について色々とお話。


ironさんは「人間は生きられるところまで何が何でも生きるべきだ」という意見。
自分は「将来、死ぬときを自分で決める時代がやってくる」という意見。
なぜ自分がそう考えるのかはこちらを読んでいただければ。

  • 不老不死への科学

http://genetics.fc2web.com/

  • Amrit不老不死研究所

http://amrit-lab.com/
不老不死とは言わないまでも、医学や化学、栄養学の発達で平均寿命はどんどん延びているし、機械工学の発展は人間のパーツを機械に置き換えることを可能にしているし、何より末期医療や終末医療は人間をある一定の期間「死なせない」ということを可能にしています。
そのとき今の倫理観である何が何でも「生きさせる」を適用するのは果たしてどうなんだろうかなぁと。


今の倫理観では何が何でも「生きさせる」ことが是であるから、もし不老不死(もしくはそれに近いモノ)が可能になれば、どんどん"生きさせられてしまう"。
それは己の意志とは無関係で、他人によって"生きさせられてしまう"ということです。
つまり「死なない」じゃなく「死ねない」。
今の倫理観では不老不死(もしくはそれに近いモノ)が可能になれば、死にたくても死ねない社会になってしまいます。


そこで自分は大きく倫理観を変える選択肢が出てくると思うのですね。
それが最初に書いた「死ぬときを自分で決める時代」。
人によって生かせられるんじゃなく、自分の判断で生を決める、と。


自分は自殺を推奨するわけではない、という言葉がironさんとの会話では足りなかったかな。
不老不死(もしくはそれに近いモノ)が可能になる時代が近い将来やってくるというのが自分の話の前提だったので。
誤解を生んでたら申し訳ない。


不老不死(あるいはそれに近いモノ)が可能になれば、次は「どうやって死ぬのか?」という問題が絶対に発生します。
不老不死(以下略)が可能になった社会で「何が何でも生きるべき」「何が何でも生きさせる」というのは、逆にかなり残酷なことじゃないかなぁと思ったり。


<PS>
今は不老不死が実現していないんだから、自殺しちゃいかんですよ。