『Fate/zero』感想

というわけで、冬コミで買ってきた『Fate/zero』4巻を読了しました。
冬コミのブースの中で、帰りの新幹線の中で、帰省のクルマに乗り込む前に、全速力で。


内容の感想を書くとネタバレになっちゃうので書きませんが、筆者・虚淵玄氏の4巻での「あとがきに代えて」は今、筆者が持つ"オタク"と呼ばれる人間への凄まじい怨嗟と、最後の希望のかけ声をこめたものとなってます。
この作品、衛宮切嗣言峰綺礼そして聖杯の関係を、創作者とオタクそしてそれを取り巻くオタク産業のメタファーと読み解くのはいささか乱暴かと思いますが、あながちまちがってないんじゃないかなぁ。
衛宮切嗣的な自分と言峰綺礼的な自分の間で揺れ動く、虚淵玄氏の葛藤と決着を描いたのが『〜zero』だと自分は思います。


Fate〜』の原作者・奈須きのこ氏の解説の言葉を借りるなら、『〜zero』はあまりにも救われる者がない物語。だけどひっそりと、尊い輝きを放つ芽吹く命がある物語。
じゃあ虚淵玄氏が託した芽吹く命ってのはなんなんだ? と。


自分は『〜staynight』の感想を、同人サークルであった『Type Moon』が同人活動と商業活動の矛盾と葛藤に決着を付ける物語だと書いたんですが、『〜zero』は、じゃあ同人ってなんなんだ? ってのに決着を付ける物語だと思います。
そういう視点で見れば、第四次聖杯戦争に参加したすべてのマスターたちに意味がありますしね。


またその辺はネタバレ!! と言われなくなった頃に書ければ書きたいなぁと思います。


と、書くと「またどうせ書かないんだろ?」と思われちゃうので、『〜zero』を同人的視点で読み解くときの各マスターのポジションを文字反転して書いておきます。
とりあえず「またこじつけすぎだって」って笑っていただければいいかと。



衛宮切嗣…二次創作とは何か? という部分で商業と創作との間で葛藤する作家。
言峰綺礼…二次創作とは何か? という部分で「面白ければ何でもいいじゃん」と思いながらも、その考えが同人に与える害毒を熟知してる"読み手"。
間桐雁夜…大手になることに憧れるも"大手になるということ"を見失い自滅。彼のサーヴァントの特性は…。
ウェイバー…サークル参加初心者。虚淵玄氏が「二次創作者はこうあって欲しい」という願望を示した理想。
遠坂時臣…大手サークル。大手なのに"読み手"に逆襲されてしまう、というか、大手こそ本当は…ってのをあらわした人。
ケイネス…同人とは商売である、というのを疑ってかからない大手サークル。手駒が悪いと「これは売れ線のジャンルじゃないからだ!!」と責任転嫁しちゃうような。
雨生龍之介…同人ってのは何でもありでしょ? ってのを実践する作家さん。


聖杯…非商業なはずなのに、商業の価値観が蔓延しつつある矛盾を抱えた"同人界"。


こじつけすぎだって言われても、それはそれで、はい。