伝え手と受け取り手の間のコンセンサス

今週発売の週刊アスキーの『仮想報道』Vol.452 。
タイトルが「オーマイニュースが成功をおさめた理由」になってますが、タイトルのアタマに"韓国で"という記載が必要なんじゃないかなぁ。
「韓国でオーマイニュースが成功をおさめた理由」ね。
著者の歌田氏がオーマイニュースの成功の理由を色々書いてるんですが、この記事を読むと「韓国のそのままのやり方で日本でも通用し、成功する」というふうにミスリードされる可能性があるので、痛くない腹を探られないためにもタイトルにやはり"韓国で"という記載が必要だったと思います。


で、歌田氏が意図せずに書いたのか、わざと書いたのかわかりませんが、オーマイニュースが成功した理由のひとつをこう挙げています。

米軍に対する反対運動が起きたとき、オーマイニュースでは大学生を現場に一ヶ月張りつけて、一ヶ月ずっとネットでその理由を伝えたそうだ。
反米感情がネットで共有されていれば、アクセスは集まる。

つまり、アクセスアップにはオーマイと訪問者の間に共有の感情が必要なんだ、と。
ニュースの伝え手と受け取り手の間の共有の感情。
『仮想報道』ではその共有の感情を反米と書いてますが、実際は反日なんじゃないでしょうか?
ネットで共有されている反日という感情。


じゃあ、日本のオーマイニュースの、伝え手と受け取り手の間の共有の感情とは何でしょう?
韓国での韓国人の共有の感情をそのまま日本に持ち込んで通用するのでしょうか?


日本のオーマイはかなり反権力・反勝ち組の部分にチカラをおいてるみたいですが、実際は反権力をうたうことで韓国の「反日」という共有の感情を隠してるだけなんじゃないかなぁ。
反日が「日本の現政権・現体制の批判」であるなら、反権力はそのまま「日本の現政権・現体制の批判」ということになり、反日=反権力でイコールですから。


日本のオーマイに必要なのは「日本での、ニュースの伝え手と受け取り手の共有の感情作り」だと自分は思います。
「日本での、日本人による共有の感情」であって、「韓国での共有の感情」ではありません。


「日本での共有の感情」があれば、オーマイの躍進の原因となったスクープもたくさん集まるようになると自分は思うんですけどね。
今のように共有の感情がない状態で、ニュースの受け取り手に「スクープちょうだい」と言っても集まるわけないですよ。


オーマイに限らず、既存のメディア、新聞や雑誌が購入されるのも、ニュースの伝え手と受け取り手の間に共有の感情があるからなんですよね。
「この新聞には自分が必要な記事が載ってる。だからお金を払って買う」のですから。
その購入の動機こそが共有の感情。
共有の感情が無い新聞や雑誌を購入しようとする人はいないでしょう。
(ネタ集めのために買う人もいますけどね)


「オーマイには読みたい記事がない」ので最近自分は読んでません。
すでに「飽きちゃった」という人もいるんじゃないでしょうか。
ならば読んでもらうためにはどうすれば良いか?
日本のオーマイは正念場だと自分は思います。