「好き」なら「しあわせ」かしら?

プチクリ−好き=才能!』を読んで自分の中でもやもやっとしていたことの正体がわかるブログがあったので、できれば読んでみて欲しいなと思います。

http://sw0503.exblog.jp/
12月7日の記事「非常に長くなりますが、よかったら読んでみてください。」を読むと、アメフトのプロとアマの境目に愕然となるわけです。
日本にはプロのアメフトチームはありません。社会人のチームばかりです。企業チームであっても企業の正業の傍らプレーを続けてる選手がほとんどです。
そうするとNFLのようにプロとしてアメフト漬けの生活を送れる選手と、仕事の傍らアメフトをプレーする選手ではレベル差がはっきりしすぎるんですね。
それが「アメフトだけに専念できる生活を送れたら…」という思いになるのだと思います。


アメフトを見出して日にちが浅い自分が言うことではないと思いますが、Xリーグより学生選手権の方が人気があるのは「学生はアメフトだけに集中できる」っていうのがあるんじゃないでしょうか?


果たしてそういう人たちにまで岡田氏は「プチクリでいいじゃん」と言えるのだろうか? と。


マンガ家やアニメーター、映画監督、小説家、評論家なんかは「プロ」があるジャンルです。
そういうジャンルに対しては「プロだけが生きがいじゃないんだよ」と言うことも出来ると思うのですが、アメフトを初めとした様々な競技には「プロ」が存在しません。
しかし競技に参加している選手たちは「この競技がプロ化して専念することができれば、もっともっとレベルが上がるのに」という思いを持っています。
ジャンルのレベルアップをするためにはプロの受け皿がないと厳しい。
専念できる環境が欲しい。
それを競技している選手たちははっきり自覚しています。
なのにそのプロの受け皿がない。
だから彼らは少しでも競技に専念できるように社会人チームに所属したり、スポンサーを見つけたり、涙ぐましい努力をしてます。


プロにはなれなくてもいいけれど、ジャンルのレベルアップ、クオリティアップのためにはプロは必要なんじゃないかしら。


プチクリ〜』はプロ否定ということで書かれた本ではないと思いますが、プロ否定をしてしまうと良くない面もあるんじゃないかなぁというのが自分がもやもやっと感じた部分。




あと、これは『プチクリ〜』の話題とは離れるのですが、本や映画を見た感想文に対する批評や感想を書くときは、最低限その元になった本や映画を見てから書こうよ。
元になった本や映画を見ずに批評や感想を書かれても、そのほとんどが書いた人間に対する悪意の感情論で読むに値しないんですよね。
元になった作品を見て「そこはそういう解釈じゃない」とか「それはわたしは違う意味に受け取りました」とか、作品に対する具体性と相対性で書かれていれば「そういう見方もあるのか」「まだまだ自分は甘いな」と思えるのですが、元の作品を見ずに書かれた感想や批評って本当に読むに値しないですよ。