『プチクリ―好き=才能!』

今日の一冊。


先日この日記でも紹介した『プチクリ』、ちゃんと"書店で"購入しましたよ〜。ジュンク堂ですが。
プチクリ」とはプチ・クリエイターの略で、「プロじゃないけど、楽しんで自分から自由にクリエイティブしている人」のこと。
やりたいことをやって、自分だけじゃなく他人にもその楽しみを伝えることが出来る、共有させることが出来る人のこと。
その伝える・共有する楽しさを説いた一冊。


プロだけがクリエイターの生き方ではないとするこの本にはいたく共感するのですが、ひとつだけ腑に落ちないというか、わざとミスディレクションしてるのかな? と思う部分が。
それは「第四章 表現力を伸ばそう」の部分なのですが。


表現力とは「"好き"を表現できる能力、何かを作り出す才能」とこの本では定義しています。
プチクリが"好き"を伝える・共有することを目的とするのなら、他人への伝達能力・表現能力は絶対に必要です。
この表現力をこの本では

表現力=才能×コントロール

とあらわしているのですね。
才能については前の三章を使って定義しているのですが、このコントロール力については明確に定義されていないので「?」と。


この本では「才能は誰にでもあるもの=誰でもプチクリになれる」としているのですが、自分はプチクリになれる人間となれない人間が存在すると思います。誰でもプチクリになれるわけではない。
ではその境目はどこかというと、自分はコントロール力があるかないかだと思うのです。


コントロール力を自分なりに定義づけると「自分自身を律する能力」のことだと思います。
第四章でコントロール力を身につけるために書かれてることはすべて「自分自身を律するための方法」ですから。
そして自分はこの「自分自身を律する能力」こそが"才能"だと思うのです。


自覚してなくても「自分自身を律する能力」が"ある"人間と、自覚していても"まったくない"人間がいます。
この"ある""なし"がクリエイターの境目だと自分は考えます。
だから自分は岡田氏と違って「誰でもクリエイターになれる」とは思ってません。
なれない人にいくらクリエイターになれると言っても無駄。
なぜなら彼ら・彼女らには「自分自身を律する能力」がないのだから。


「自分自身を律する能力」とは「自分自身を能動的に動かす能力」と言い換えることもできると思います。
クリエイターは「ならせてもらう」んじゃなく「なる」ものだと考えない人間にいくら言っても無駄でしょう。


プロだけがクリエイターの生きる道じゃないというこの本の考え方にはとても共感するのですけれどもね。


自分が「この人、クリエイターに向いてないんじゃないかなぁ〜?」と見分けるときのポイント。
向いてない人は必ず「今日は時間がなかった」「忙しい」「明日からやります」という言葉を使います。
「やればできるさ、俺だって」って言いたいのでしょうか。
しかしこの言葉を使う人のモノがカタチになったためしなし。
自分自身を律しきれてないからそうなるんですけれども。


好きなモノのためなら自分自身を律するぐらいわけないと思うのですけれどもねぇ。
好きなモノのためですら自分自身を律することができないってのは、相当「だらしない」ということだと思いますよ。
「自分自身を律することができない=つらい=好きじゃない=才能がない」のですから、そのジャンルからは手を引いた方がいいんじゃないかなぁ。
だって無理して自分自身を律していてもつまらないでしょ?
「無理なく自分自身を律することができる=楽しい=好き=才能がある」ってのがプチクリの考え方だと思いますし。


自分がマンガや日記を書くのも、書いていて楽しいし、それを読んでもらうのがとても嬉しいからです。
そうでないとこんなバカなことは続けられませんよ(笑)。