後悔と反省の日々。

紙のプロレスRADICAL」が来月から「kamipro」にリニューアル。
今月号の座談会、ハッスル大統領・山口日昇は良いこと言いますねぇ。

"あの頃のもの"はあの頃のもの。それを再現しようなんて愚は犯しません。あの頃以上のエネルギーを違ったもので表現していけばいいんですよ。
逆に"あの頃の『紙プロ』"をありがたがって、あの頃のものしか認めないというファンは、あの頃の『紙プロ』だけをいつまでも読んでいてください。


自分はゲームやアニメ、マンガにも「古参の老害」というのがあると思うのですね。
「昔はこうだった。でも今はこうなっていない。だからダメだ」という評価の仕方。
昔は良かった、今はダメだ、だから昔を知ってる俺は偉い、今のヤツらはダメだ、と斬り捨てるタイプの人たちってどのジャンルにもいますよね。


自分は昔のモノには敬意・リスペクトをするべきだとは思いますが、それを現代の尺度に押し当てて、今のモノはダメだと切るのはやってはいけないと思うんですよ。
昔のモノは昔のモノ、今のモノは今のモノとして、その良さは認めなきゃいけない。
そうであるなら自分は自分で言っておきながらやってしまった大チョンボがたくさんあります。


例えば6月10日の日記
http://d.hatena.ne.jp/bolt69/20050610
自分が劇場版『Zガンダム』と『ガンダムSEED』を比較して斬り捨てたのは自分で言っておきながらもやってはいけない行為だったわけで、とても反省。
大反省。


『SEED』は『SEED』として経済効果もあるし、世間では受け入れられているのだから、その良さは認めるべきで、そのことも書くべきだった。
あるいは、もし劇場版『Zガンダム』の感想を書くのなら、『Zガンダム』単体の感想を書くべきで『SEED』との比較で書いてはいけなかった。
逆に『SEED』のダメさを斬るのなら『Zガンダム』との比較はするべきじゃなかった。


とても大反省。


でも物事を時間軸で捉えて比較して考えるというやり方もあります。
「昔はこうだった。それが今はこうなってる。」という時間軸での比較、検証、考察方法ですね。


例えば「昔は登り窯で1週間かけて焼いてたが、今はガス窯で1日で焼き上がる。見た目は同じだけど、微妙なところで登り窯の焼き加減がガスではできない。」とかね。
でもそれじゃあガス釜はダメかというとそうじゃなくて、登り窯より短期間で大量に焼き上げることが出来るので、登り窯には出来ない大量生産とコストダウンがはかれるという大きなメリットもあるわけです。
そういう時間軸で物事を比較検証し、考察していくやり方もわるわけです。
そう考えると「昔はこうだった。今はこうなっている。」という考察をする場合にはやっぱり具体的で客観的な事例の比較検証が必要なわけで、「昔のものだから良かった」という乱暴な切り方はできないわけです。


だからもし『Zガンダム』と『SEED』の比較をするのであれば、もっと具体的で客観的な事例の提示が必要。
6月10日の日記はダメ文章の見本みたいなものです。
具体性も客観性も無しに、ただ主観的に抽象的な言葉で『SEED』を斬ってる。感想文としてもこれはやってはいけないなぁ。


検証を怠って単純に『Zは良かった、SEEDはダメ』みたいな切り方をしてしまった自分はまだまだ文章のトレーニングが足りないみたいです。
自分の浅はかさと軽率さを反省いたします。