『クリムゾンの迷宮』

今日の一冊。

クリムゾンの迷宮 (角川ホラー文庫)
世間での評価は高いみたいですが、自分にはまったく合いませんでした。
感想はネタバレ&酷評になってしまうので文字色を変えます。
貴志祐介ファンの方は見ないでね。



ひぐらしが〜』以来、久々に読み終わって腹が立った本。
世間の評価と内容が一致していないんじゃないかと思います。


というのもこの本、『バトルロワイヤル』や『地獄のババぬき』のようなデッド・オア・アライブサバイバルゲームを扱った作品なんですが、初っ端からオチがわかるんですよ。
その、読者にわかってるオチをいつ裏切ってくれるのかと期待して読み進めるわけですが、その期待だけを裏切って作品は終わります。
フルコースでどんどん料理が運ばれてくるんだけど、メインディッシュの前で「今日の料理は終わりです」と告げられたような気分。


作中でゲームマスターから与えられるヒントやアイテムもあっと驚く使い方をされず、さらにプレイヤー同士の狡知な駆け引きも存在せず。
作中で撮影されてるスナッフ・ピクチャーの、決められたエンディングへ向けて一本道のシナリオを突き進ませていると考えれば、あっと驚く仕掛けや伏線、駆け引きがないのもうなづけますが…、それにしたってこういうデッド・オア・アライブな作品で、ゲームに参加するプレイヤー同士の駆け引きがないってのは致命的だと思います。


あと、自分はホラーやミステリーで「超」はオチとして禁じ手だと思うのですね。
実は超人・実は超能力・実は超科学・実は超未来メカ・実は超巨大組織・実は超権力者、とかね。
それまでに伏線があって「超」を使うのはいいと思うんですけど、オチで唐突に「実はあれは超○○でした」となると、それまで積み上げてきたモノが崩れ落ちて陳腐になっちゃうんですよ。
「実は夢でした」という夢オチと同じ。ある意味禁じ手だと思うんですね。
「実は死んでませんでした」「実は壊れてませんでした」「実は間一髪で抜け道を見つけて」とかは反則でしょう。


この『クリムゾンの迷宮』でも最後に『実はアレは超巨大マフィアが超科学を使って撮影した超スナッフ・ピクチャー』というネタバレがなされるんですが、読んでる方からすれば「なんだ、それっ!?」ですよ。
まったく捻りなし。


こういうのが好きな人もいるだろうけれど、自分はまったく合いませんでした。