「自分らしさ」と「自分だけ」は違う。

18日の日記で、読まれるための文章の書き方みたいなものを書いたんですが、「それができれば苦労しないよ」という意見も。
それじゃあ、もう少し簡単に「なぜ、アナタのブログは読まれないのか」を考えてみましょう。


あなたのブログが読まれない理由、それはあなたのブログに独自性や個性が無いからです。


独自性や個性って言葉、聞き飽きてるかた、辟易してるかた、たくさんいらっしゃると思います。
それじゃあ独自性や個性って言葉がいったい何か、それを考えましょう。


独自性や個性って「自分らしさ」と解釈する人が多いと思いますが、自分はそれは違うと思います。
独自性や個性とは「他人が絶対にやってないこと。持ってないこと。究極のミクロ領域。絶対少数派。」だと自分は考えます。言い換えれば「自分だけ」のモノ。


「自分らしさ」を追求しようとして、実はそれが多数派だったっていう経験、ありませんか?
例えば4コマでもネタにしましたが、九月からブーツ。
履いてる本人からすれば「自分らしさ」のアピールのつもりだろうと思います。「自分だけ」がブーツなのよ、と。
でも町中を歩けばブーツを履いた女の人を本当にたくさん見かけます。
つまり「自分らしさ」の集合体が逆にマス集団となって没個性となってしまい、九月にブーツは「自分だけ」のものではなくなっているのです。
結果、九月にブーツは独自性でも個性でもなんでもないですよね。


「自分らしさ」というのは必ずしも自分ひとりだけのモノではないんです。
「自分らしさ」を追求すると誰かと重なる可能性があり、結果それが一山いくらの中のひとつになることもあります。
それは悪いことでも何でもなくて、人間である以上趣味嗜好に共通点があるのは当たり前だからです。
ということは単純に「自分らしさ」を追求していくと、逆に同じようなものに出会う、キャラが被る確立が高くなります。


例えば毒舌系ブログ。
「私はおとなしそうに見えるけれど、内心は結構ズバズバ言うタイプだから、自分らしさが出せる毒舌系で行こう!!」
こう考えて毒舌系ブログを開設する人、何万人いるでしょう?
あなたは「自分らしさ」を追求したかもしれませんが、この時点で何万人分の一になってるわけです。
人に読んでもらうためにはこの何万人分の一の競争に勝ち残らねばいけません。
どうです? この競争しんどいでしょう?


じゃあどうすれば良いか。
松本人志ふうに言うなら「自分の山を見つける」ことです。
ドラゴン桜』ふうに言うなら「倍率の低くて入りやすい学部を狙う」です。
自分が絶対に勝てる場所・方法を見つける。


毒舌系なら負けるかもしれない。でも爽やか文章系では負けない、考察系では負けない、日常の描写なら負けない、ブルマーの考察なら負けない、インコの書き方なら負けない、とかね。
毒舌系などの倍率の高いところに挑んでいって、そこに居場所を勝ち取るのも手ですが、これってとてもしんどいことなんです。
それより倍率の低いところや、誰も開拓していない場所に居場所を見つける方が楽ですよね。
ニュース系サイトであるなら、誰もがやってる一行コメントは止めて、自分が興味を持った記事を深化させるとか、特定の分野の速報性と深度は誰にも負けないとか。
誰も手つかずの場所を開拓する方が手っ取り早いし、そこに居場所を作ってしまえば自分の居場所を脅かされる心配がなくなります。
自分だけの絶対領域の獲得、ですね。まさに"自分だけ"の場所。
この、誰も手つかずの場所を開拓するフロンティア・スピリットが独自性や個性だと自分は思います。


「自分らしさ」と「自分だけ」はイコールではないので、「自分らしさ」と「自分だけ」の追求が相反することがあります。
「自分だけ」のモノは欲しい。でもそれは「自分らしくはない」。
逆に「自分らしさ」を追求していくと「自分だけ」のモノは得られない。
その時、どちらを選ぶのかはあなたの自由です。
「自分らしさ」の追求って実は楽なんですよ。
しかし「自分だけ」のモノを獲得するのはとても困難。
だけど「自分らしさ」と「自分だけ」には泥と黄金ぐらいの違いがあります。


独自性と個性という言葉に誤魔化されず、「自分だけ」のモノを手に入れる。
これがあなたのブログが人に読んでもらえるための方法のひとつだと自分は思います。


それじゃあどうやって「自分だけのもの」を手に入れるかって?
能書きはいいから、その方法が知りたいんだ?
よーく気持ちはわかります。
でもそれをここで書いてみんながマネしちゃったら「自分だけのもの」にならなくなりますけどいいんですか?
「絶対成功する○○の本」とかいうのを読んでも絶対に成功しないのは、だからですよ(笑)。