議論はキャッチボール。

日記、ヤバイ。なぜかって? 俺の日記だから。
と、山本"KID"徳郁に始めてみましたが(笑)。


愛・地球博、ヤバイ。なぜかって? 愛・地球博だから。」
コミケ、ヤバイ。なぜかって? コミケだから。」
「『ときメモオンライン』、ヤバイ。なぜかって? コナミだから。」
色々使い勝手のあるフレーズです、はい。


自分はブログまわりの人間ではないのですが、批評について書いたことがあちこちで取り上げられていて、その関連でこの日記に来られる方もいるので、今日はこの話題。

議論といいながら議論になっていないこともあります。一部の掲示板では、攻撃・誹謗中傷を「議論」や「表現」といった言葉で覆い隠し、それを無視したりすると「逃げた」とか言い出すような人たちだっています。また、議論の論点が全然かみ合っていなかったり、いつのまにか人格攻撃に走ったり、あるいは人格攻撃ではないのに人格攻撃しているかのように論点をずらしていったり。


そしてこういった人たちへの対処法。

まあこういうのはブログ荒らしなので適当に無視していればいいのですが


そういうことなんですよね。
批判や反論が論として成立してればこちらも真摯に対応しようと思いますが、単なる人格攻撃だったり、妬み嫉み僻みの書き連ねだったり、意見の押しつけだったりすると、「あー、日本語の出来ない人だなぁ。どうせこっちの話なんて聞かないだろうから、何を言ってもムダだなぁ。」とスルーするわけで。
批判や反論と名乗っているモノの大半がコレなんですね。まともに相手できないモノ。人の話を聞かないのだから相手しようがない。だから無視するんですけどね。
無視してると「勝った!!」とか「アイツは逃げた!!」とか言い出すんですが。何をもって勝敗を決めてるのか非常にこっけいですが(笑)。


単純に、人の話を聞かない人間とは話したくないだけなんですけどね。


議論は最初に自分の主義主張をぶつけるのではなく、相手の話を聞くところからスタートするんですね。
会話であるならリスニング、それが文章であるならリーディングから始まるわけです。


感じるのは、議論をこじらせる人ってリスニングやリーディングを理解できていない。意味を勘違いしてる。その才能がない。もしくは相手の話を意図的に聞いちゃいねぇ。
一番多いのは揚げ足取りをリーディングだと思ってる人。これが多すぎ。こういう人とはまず議論にならない、というか会話すら成立しない。


議論がキャッチボールであるなら、人の話を聞かない人って、こっちには球を投げさせず、相手が一方的に球を投げてくるだけ。キャッチボールが成立しない。
そしてこっちに球を投げさせず、球を一方的に投げてきて「オマエは球を投げ返さなかった。だから俺の勝ちだ!!」って、ワケワカラン。人じゃなく壁相手にキャッチボールしてろよって思っちゃう。
で、タチが悪いのはこういう人って無関係な人間にまで球をぶつけ出す。ぶつけて投げ返せなかったら「またもや俺の勝ち!! 次はどいつだ!?」って…正気かしら?


キャッチボールやろうという人とはキャッチボールできる。
難しい球を投げてくる人でも、それがキャッチボールならキャッチボールできる。
でも、はなからキャッチボールする気なんてなく、一方的に球を投げてくる人とはキャッチボールできない


ボールを投げることは出来ても、捕ることが出来なければキャッチボールなんて成立しないわけで、このボールを捕ること、すなわちリスニングやリーディングが出来ない人が多いんじゃないかなぁ。


自分は文章のチカラってのは二本立てだと思うのですね。
「書くチカラ」と「読むチカラ」。
このふたつがそろって始めて文章のチカラになると思うのです。しかし「読むチカラ」の方が欠けてる人って多いんじゃないかなぁと思います。


人に話を聞いてもらいたいのなら、まず自分が人の話を聞くこと。
これ、人間関係でも大切なことだと思います。
「聞き上手は話し上手」ってね。

  • 今日の良かったこと。

道を聞かれたんですが、わかりにくい場所だったのでそこまで案内。
無事に着けて良かったです。