ブログリテラシーな話。

日記というか、ここに文章を書くときに色々考えるわけで。
昨日19時頃、うめだの「とらのあな」に行ったとき、ビルの前の道路にこんな紙をフロントにおいたタクシーが停まってました。

御身体の悪い御客様を御迎えに行っています。少しの間お許し下さい。

場所はこちらになります。もちろん駐車禁止区域で、駐車違反の取り締まり重点路線です。

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.41.54.693&lon=135.30.14.162&ac=27127&az=19.2.15.3

http://www.police.pref.osaka.jp/03kotsu/park_guideline/images/sonezaki.pdf


で、色々考えるのは、この情報だけをポンっと出されたら、皆さんがどう考えるか? ということなんですね。
この情報だけから考えられるのは次のふたつでしょう。

① 身体の不自由な人に対するクルマの乗降を考えていない違法駐車監視員制度はやっぱり悪法だ!!

② こんな張り紙を置いてまで違法駐車しようとは何ごとだ!!

問題なのは、自分がこのふたつのどっちだったかを確認していない、ということ。
買い物前に停まっていたので京ぽん2で撮影。
その後、買い物を済まして出てきたときも停まっていたのですが、自分はそのまま帰ってしまったので、どっちだったのか確認してません。


で、さらに問題なのはここに「自分の考え」を加えるということが出来るということです。


自分は自転車乗りなので、軽車両の車道通行を妨害する違法駐車や荒っぽい運転をするタクシーに嫌悪感を持っています。
嫌悪感を持ってるから、この紙を見たとき気になって写真を撮ったわけですから。
そうすると普通に感情にまかせて文章を書いてしまって、考え方を②へ誘導してしまうことも出来るわけです。
本当に身体の悪い人を迎えに行っていたかもしれないのに。


いったい、本当はどっちだったのか?
その上で①と②、どっちに考えを向かわせ警鐘を鳴らすのか?
それをおこなうのがジャーナリズムなんじゃないかなぁと。
つまりジャーナリズムの持つ機能、「検証」ですね。


検証のないものは単なる事象の提示でしかなく、自分を含め、多くのブロガーにはこの「検証」が無いように思います。
そこがジャーナリズムとブログの大きな違いなんじゃないかなぁ。


結局、何が言いたいかというと、メディアリテラシーとともにブログリテラシーも必要なんじゃないかなぁという話。
やろうと思えばどのようにでも、一枚の写真からでもブログの記事をねじ曲げることが出来ますよ、ということ。
そして自分がわざと悪意の方向にねじ曲げた文章を書いていないかなぁという、文章を書く恐怖を感じているということ。
やっぱり文章を書くのは難しいです、はい。