勝ち負けは第三者が決める。

他人のディスカッションを傍目から見てるのは総合格闘技の試合を見てるようで結構面白い。
「いま論旨がすり替わった」とか「相手の質問に受け身をとった」とか「正論で突破されそうになったのでロープに逃げた」なんて感じで(笑)。
相手が"恫喝"を持ち出してきても「それ、すでにネタバレしてるんスけど(笑)」なんて腹の中で笑ったり。


今日観た試合(笑)は「一方的に持論を押し通す人」VS「究極の聞き上手」。
パッと観た感じでは「持論を押し通す人」の方が話に勢いがあるので押してるように見えるんだけど、「聞き上手」がコツコツと論理的に問題点や誤解を解き明かし、矛盾点を指摘。
そうすると「持論を押し通す人」は主観と感情論になってしまい、端から見ても明らかな矛盾や論理の間違いを続出。
最後は「聞き上手」に「お前とは話できない!!」と捨てぜりふを吐きタップアウト。
「究極の聞き上手」の勝利。
「持論を押し通す人」が火だるまになっていくのを観るのはスゴク面白かったです。


で、なぜ「持論を押し通す人」が火だるまになったのだろうと。
持論を押し通すってのはあらかじめ決められた結果に相手を導くということなんですね。
相手を導くためには「聞き上手」と同じく論理的な説明や、誤解・不審の説き明かし、矛盾の指摘などが必要なのですが、「押し通す人」にはその準備がまったく欠けてる。
「押し通す人」って「俺が○○と思うんだから、○○なんだ!!」って主観的・感情的説得しか持ち合わせてないんですね。


「押し通す人」がヤクザの組長や社長ならそれも通用するかもしれないですが、主観的・感情的説得では他人を説得は出来ない。
なぜならその他人も主観や感情を持っているから。
相手の主観や感情を突き崩すことは並大抵じゃないんですよ。
やっぱりそこには客観や論理が必要になってくるわけで。


「聞き上手」ってのも実はあらかじめ決められた結果に相手を導くことを目的としてるので、「押し通す人」と目的は一緒なんですね。
ただし手段がまったく違っていて、客観や論理、データ、「普通に考えれば」、といった手法を駆使するわけです。
それは「相手を説得するためのツール」なんですけどね。


面白いのは「押し通す人」VS「聞き上手」って判定決着で勝負がつくこと。
「押し通す人」VS「聞き上手」の試合って観衆が勝敗を決定するんです。
どっちの方が理にかなってるか判断をするのは第三者
だからやっぱり第三者をも説得できる客観や論理が必要になるんですけどね。


総合格闘技もボクシングも勝敗を決めてるのは第三者の審判なわけですよ。
競技者が勝敗を決めてるわけじゃないんですね。
三者が勝敗を決めなければ「俺は負けてない!!」ってのが通用しちゃうので、決着がつかなくなっちゃう。


そうであるならディスカッションもネットの論戦も、争いあってる当人同士が決着をつけるんじゃなく、第三者が決着をつければいいと思うんですけどね。
決闘でいうところの立会人として。


そうなったとき、必ず負けるのは「一方的に意見を押し通す人」だと思いますよ。


PS


「勝ち負けは第三者が決める」って裁判制度がそうだよねと指摘あり。
納得。