”褒める人”ってどんな人?

あることや作品や人を貶したり、こき下ろす方向ばっかりで批評・評論・感想を書く人って多いですよね。
それとは逆に褒めたり賛辞したり感謝・感動の方向で話を書く人って希有な気がします。
それはなぜなんだろうかとちょっと考えてまして。


こき下ろす方向で物事を書く人って、褒めることが負けだと感じてるんじゃないかな。
"褒める=アタマを下げる=負け"みたいな。
"褒める=迎合=犬"みたいな。
果たして褒めること=負けなんでしょうか。


スポーツなんかだと相手を褒めるのはたいてい勝った側ですよね。
「今日の相手は強かったです」とか「今日は相手のピッチャーの調子が良くて」とか「相手が強かったから自分もがんばれました」とか。
それに対して負けた方はいつまでもグジグジ相手のことを貶したりこき下ろしたりします。
「相手は卑怯な手を使った」とか「審判があんなにストライクを取ってくれなかったら投げるところがない」とか「たまたま自分の調子が悪かったから、あんな弱い相手に負けてしまった」とかね。


スポーツでは褒めるってのは勝者の余裕なんですね。
それに対し相手を貶したりこき下ろしたり言い訳を連ねるのは常に敗者。勝者は絶対にそんなことを言わない。


ビジネスでもそうで、競った相手を褒めるのは常に勝者の側。
敗者はいつまでも愚痴を連ねているわけです。


褒めるってのは心に余裕がないとできないと自分は思うのですね。
勝てば余裕が出来るけれど、負ければ余裕がない。
だから負けると自己保身のために延々と貶しこき下ろし言い訳を連ね、「俺は負けてないよ」とアピールするわけです。


そう考えると

褒める=アタマを下げる=負け
貶しやこき下ろし=アタマを下げさせる=勝ち

じゃないと思うのですね。
むしろ

勝ち=相手の健闘を称える余裕がある=褒める
負け=健闘を称える余裕がない=貶しやこき下ろし

だと。


貶しやこき下ろしを書く人って、実は負けだと自分は思います。
物事を貶したりこき下ろすことで自分の地位を高く見せようとするのは、実は負けてるからなんですね。
負けてるから負けてないように見せようとする、地位が低いから高く見せようとする。
本当に勝ってる人や地位の高い人はそんなことしないし、せずに済みます。


褒めるって行動は、やっぱり心に余裕がないとできない。
勝って心に余裕があるから褒めるという行動ができる。
それじゃあ何に対して勝ってるのかというと、己の人生に対して勝ってるのだと。


人を褒める系の人と、人を貶す系の人のブログをそれぞれ読んでみると違いがわかるかも。
褒める系の人は生き方が豊かに見えるけれど、貶す系の人って生き方が貧しく見える。
貧しいと心に余裕がないから、貶すという方向に行っちゃうんでしょうね。

豊か=相手の健闘を称える余裕がある=褒める
貧しい=健闘を称える余裕がない=貶しやこき下ろし


"褒める"という行為をするのは社会的にどんな人が多いかを考えれば、"貶す"って行為をするのもどんな人が多いか相対的に見えてくると思います。


"貶す=アウトロー=かっこいい"みたいなイメージを持ってる人もいると思いますが、本物のアウトローの人は貶しなんてしません。
だって属する集団からアウトローしてるんだから、その属する集団を貶す必要がないもん。
やっぱり属する集団の中で負けてるから貶すという行為をするんだと思いますよ。