手と手を繋いで。

最近4コマの描き上がる時間が早いので、あいた時間でテレビを見たり小説を読んだり、そして早寝したり。
今は『ガダラの豚』(著:中島らも集英社文庫)を読み返してます。魔術VS奇術の丁々発止のやりとりがすごく面白いのです。マンガ版は正直……な出来なんですが、この話をベースにノベルゲーを作ったら面白いんじゃないかなぁ。


ニュース系サイトを巡回するばっかりで、あまり個人サイトを巡回しなくなって久しいのですが、最近ファンページって減ってきたように感じる。
ここでいうファンページってのは特定のジャンルについてのみファン活動をおこなっているページのこと。
例えば「ときメモ系ファンページ」であれば、ときメモの話題は取り上げるけれど、その同じページの中で違うゲームのファン活動は原則的におこなわない。○○ファンページを名乗ってるのだから○○以外の話題は取り上げないっていうスタンス。そういうページって減ってきてるような気がする。


色々理由はあると思うんですが、自分の足りない脳みそで考えてみると


①作品開始前にオフィシャルサイトがすでに存在する。ニュース系サイトなどで情報が得られる。


②作品の消費されるスピードが早く、そのジャンルに固定ファンが付かない。


③ミクロなコミュニテイは形成されるが、マクロへと向かわない。拡大化ではなく、ジャンルが細分化され集束していく。




①のためにデータベース系、情報系、コミュニテイ系ファンサイトが成立しにくくなってると思う。


②は、やっぱりホームページって人に見てもらうことでモチベーションが上がる部分があるから、ファンが自分以外にいないっていうようなジャンルでは活動しにくいと思う。
(逆にものすごくコアなファンの結びつきを生む可能性もあるのですが)


③は共有体験のこと。「ときメモ」のようなマスなソフトは誰でも知ってるけれど、いまゲーム屋やマンガ屋に並んでる作品でどれだけの作品がエンドユーザーに共有体験されているか。共有体験されてるパイが大きければ大きいほどコミュニティは拡大する。
ゴチャゴチャ書いたけど、ような量的な問題。作品が細分化されすぎていて、大きなパイにならない。ちっちゃなパイがいくつも並んでるだけということ。



マクロを狙わず、最初からミクロの部分で運営されているのであれば、自分がそういうサイトを目にしないのは当然だし。
「個人ファンサイトは2〜3人のミクロなコミュニティになっていくんじゃないか?」と何年か前に自分は言っていたのだけど、実際そうなりつつあるんじゃないかなぁ。
このへんのファンサイトについての考察をまた調べてみたいと思います。