「おめでとう」にサヨナラ。

何かひとつを選ぶということは、残りのすべてを選ばなかったということだ。
勝者を選択した瞬間、敗者はすべて打ち捨てられる。
神はひとつだけ選択された勝者を愛で、悪魔は残りのすべての敗者を愛でる。
ならば自分は悪魔に愛されよう。


軽薄な「おめでとう」の一言に、ほとほと嫌気がさしてる今日この頃。
それとも、言葉はそんなに軽薄になってしまったのだろうか。
勝者に「おめでとう」と声をかけても、かけた人間は勝者になれるわけではない。
なのに声をかけた人間は勝者のように立ち振る舞う。
アナタはいったい何様なのか?
「自分」というものがないから、勝者に「自分」を投影したがるのだろう。
モニターの前の「自分」は完全に負けているのに。


以上、オリンピックと高校野球に関して書いているBLOGへの感想。
「思い入れ」の抜けてる言葉くらい寒々しくて空々しい言葉はないですよ。
「おめでとう」と書くんなら、一緒に思い入れも書いた方がいい。
事務的に、右にならえで書かれた「おめでとう」にサヨナラ。