絶叫系、絶叫系、フジテレビ〜♪

冬コミの申し込みをするまでが夏コミです。
というわけで、なんだかんだいいながら冬コミの申し込みをしました。
今年の冬は2日間開催に戻るそうなので、当落は微妙かなぁ。
それより今年も「男祭り」や「猪木祭り」はやるんでしょうかねぇ。
テレ朝あたりに「草間祭り」を開催して欲しいところ。


あまりオリンピックは好きじゃないのですが、見る番組がないので仕方なくチラチラと見てます。
なぜオリンピックが好きじゃないかは色々理由があるんですが、ひとつの理由は中継のアナウンサーがうるさいこと。
目の前で起こったことを「見たまま」「絶叫で」「連呼」しすぎ。
あまりにうるさすぎるので音声は切って見てます。


あと、アナウンサーがあまりに競技を知らなすぎ。
知らないから「見たまま」「絶叫で」「連呼」するんだろうなぁ。


自分はマイナー嗜好なので、マイナーな競技も中継してくれた方が嬉しいんだけど、
やっぱり視聴率が取れるメジャー系競技しか中継しないわけで。
せっかくオリンピックという晴れ舞台に立ってるのに、メディアから黙殺され続けるマイナー競技の選手の気持ちを考えると
「アマチュアの祭典」という美辞麗句に反感を感じてしまう。


結局視聴率かよ、と。
結局商売じゃん、と。


日本のアマチュアスポーツの歪みっぷりはとても酷いもので、
諸外国では金メダルを取れば一生暮らしていけるぐらいの保護を国家から受けられるのに
日本では費やした青春の時間を考えるとスズメの涙ほどの功労金


強くなるにはその競技に費やす時間とお金が勝負になります。
才能を時間とお金で伸ばしてやることが必要なんですね。
競技の決め手はお金と時間だとはっきり言うことが出来ます。
これは古代のオリンピックが奴隷制の上に成り立っていた時代からまったく変わらない。
奴隷制により労働から開放された市民が余暇で始めたのがスポーツの起源。


しかし日本のアマチュア競技ではお金や時間を費やすことは邪道であり、不平等であり、正々堂々としていないと見られがち。
「あれだけ高い道具使ってたら誰でも勝てるわ」
「あれだけ練習する時間、普通の人には作れないわ。」
とかね。


自分は余暇のスポーツと競技スポーツは、ある部分は同じだけど、ほとんど違うと考えてます。
余暇スポーツと競技スポーツはまったく同じではない。
余暇スポーツはアマチュアだけど、競技スポーツはほとんどプロだと言っていいんではないでしょうか。
練習する時間を限界まで作り、道具を限界まで選定し、限界まで練習し続ける。
これはほとんどプロのおこないだと思います。
ほとんどプロである競技スポーツにアマチュアイズムを押しつけようとするから、オリンピックに歪みを感じてしまうわけです。


というのは「アマチュアイズム」が聞こえのいい美辞麗句だから。
「カネのため」と言うより「自分のために頑張った」と言う方が聞こえはいいでしょう。
コミケと同じように「アマチュアイズム」という言葉で自分の目と耳を覆っちゃってるわけです。


プロ化していない競技スポーツというのはかなり哀れなもので、現役でいられる時間は短いし、現役を退いたら食えなくなることもままあります。
その中、オリンピックという名誉のためだけに、己の青春の時間をかけ続ける選手たちの頑張りを自分はとても敬服します。
だからその頑張りを視聴率や商売のために食い潰していいのだろうかと考えるわけです。
一時の娯楽番組として見る姿勢はどうなんだろうか、とか。
選手に一銭も払ってるわけでもないのに、負けたら「国賊!!」と罵る国民ってなんなんだろうか、とか。


己の名誉のためだけに頑張ってる選手たちを、その辺の娯楽番組と同じように視聴できない。
選手たちがあまりに気高すぎて、直視できないからあまり好きじゃないんですね。


オリンピックがプロ化してくれれば、これはもう「興行」ですから、その辺の娯楽番組と同じように視聴できるんですが。
「興行」だったら勝った負けたで、その辺のBLOGのように無責任に言いたい放題できるんですけれども。


選手は消費物じゃない。
これを強く言いたいです。