『ヒカルの碁』


マンガ喫茶で最終巻まで。


囲碁の世界の厳しさを描いたというか、勝負の世界の厳しさを描いた作品。
だから勝負物が好きな人ならハマるかも。
ヒカルが左為に鍛えられ、才能を花開かせ力をつけて成長していく姿は「少年ジャンプ」の正しい主人公の系譜。


ただし、勝負の世界のリアリティを描いたがために爽快感というものはない。
冷酷なまでの実力主義
アマはプロに勝てないし、段が下の者は上の者に勝てない。
それが囲碁の世界だと言われればなんと厳しい世界だろうと思う。


その過酷な実力主義を飛び越えていくのがヒカルに憑いてる左為なんだけど、
どうも途中で左為の扱いに困って来てるような。
というのも左為は切り札なんですよ。どんな相手が来ても勝てるという。
しかしそうなるとヒカルの成長が描けない。そして囲碁実力主義の世界を描けない。
左為は扱いに困る厄介者になってしまっている。


というのも左為は自分が碁を打ちたいんですね。
ヒカルを育てようとかいう気はさらさらない。
そうなるとヒカルと左為は師弟の関係でもないし、その辺の関係性をドラマとして描けない。
あるのはとにかく実力主義の世界だけ。
読んでて勝負の世界は感じるけれど、ヒューマンな部分はまったく感じなかった。


左為編は、その後のエピソードをうまく組み立て直し、ヒカルに碁を打つ意味をしっかり持たせることに成功している。
しかし裏を返せば、これで左為の呪縛からストーリーも解き放たれたワケだ。
好きなだけ冷酷で過酷な実力主義囲碁の世界を描いていける。
囲碁を打ってる人間が誰も楽しそう、嬉しそうに見えない世界。
そりゃそうだ。この話の中で楽しそうに、嬉しそうに囲碁を打っていたのは左為だけなのだから。


「神の一手」を極めんがために存在してきた左為が、勝った負けたでギスギスした現在の囲碁界に嫌気がさして
成仏しちゃったと言ったら言い過ぎだろうか。


主人公のヒカルよりも、あかりの方が囲碁を楽しんでるんじゃないかなぁと思う。
そのせいかあかりの登場はヒロインなのにものすごく少ない。
作者が「楽しそうに囲碁を打つ人間」をとにかく排除している姿に何かヒューマンの欠如を感じるんだけど。
正直このマンガを読んでて、囲碁って厳しいものではあっても楽しくなさそうと思いました。


デスノート』に関してはまた後日にでも感想を。