人工知能論 第1回

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帰ってきて色々なことを書きながら考えたり。
「知覚できないものは存在しない」ことについてウダウダと考える。


「天国と地獄は存在するか?」と言われたら皆さんはどう答えるだろう?
オカルトでない限り答えは実は「NO」だ。なぜなら誰もその存在を証明できないから。


臨死体験者が天国を見たという話がありますが、あれは完全な死の状態ではない。その天国は臨死状態における脳が生前の記憶を元に見せたイメージ映像でしかない。
完全に死んでみてからでは誰も何がどうなるのかわからないわけです。
だから昔の哲学者は「死は存在しない」と言ったりしてるわけです。死んだことないからわかんねー。わかんねーものは存在しないっつーことですな。


今誰かが生まれたとしても、その人を自分は知覚できないからその人は自分にとっては存在しない人ということになる。
今誰かが死んだとしても、やっぱりそれも自分が知覚しないかぎり、その人は自分にとって存在しなかった人になる。
存在が他人に知覚されないかぎり、その人は「いなかった」ということになるのですね。だから人は己が存在していることを確認するために、他人に存在を知覚させようとするわけです。


これをホームページや情報に置き換えるとどうでしょう?


いまものすごく面白いホームページがあっても、その存在を自分が知らないかぎり、そのホームページは自分にとって「存在しない」ページといえる。
ものすごく有益な情報があっても、それを自分が知らなければ、その情報は自分にとっては「存在しない」情報になる。
そう考えるとこの世の中には存在しないものがなんと多いことか。


で、何が言いたいのかというと、己の存在を確かめるために死んでみるというのはおやめなさいなということ。
わりとムダだから。
あの世なんてないから誰かが嘆き悲しむ姿なんて見られないし、「存在しない」者が「存在しなかった」者に変わるだけだから、存在を確かめるために死んでみるってのは死に損だと思いますよ。


などとグダグダっと考えたり。