あれからとこれから。

自分は1998年からWEBコミックを発表してます。
その当時のホームページはテキスト主体で、あまり絵を掲載してるページはありませんでした。
あまり回線速度も速くなかったし、常時接続サービスなんてのもなかったから、
絵を掲載するのは描き手にも読み手にも負担が大きかったんですね。


WEBコミックが飛躍的に発展した、ホームページがテキストからビジュアルへ移行したのは
ADSLのサービスが開始され、インターネットが高速で常時接続で使用できようになってからだと思います。
ADSLのサービス開始は2001年ごろだったかな?


で、先日の飲み会で「WEBコミックの総量は2001年から増えてないんじゃないか?」という話をしてまして。
これは統計を取ったわけではなくて、WEBコミックを紹介してるページと自分の周囲を見ての実感で、
イラストなんかと同様に、一発ネタや突発的にマンガを描いてるページはそれこそ星の数ほどあるんだろうけど、
定期的にWEBコミックを描き、それをホームページのコンテンツにしてるページはほぼ一定で
実は増えも減りもしてないんじゃないだろうか、と。


じゃあ、なぜ増えも減りもせず一定なんだろうかと考えると、たくさんWEBコミックに入ってはくるけれど、
出ていく人も多いんじゃないかと。
入ってきて定着する人の数が、実はものすごく少ないんじゃないかなぁ。


ADSLが始まって、これから飛躍的にWEBコミックの数が増えて、色々なマンガが読めるぞと喜んでいたら…アレ?って感じ。
回線速度が速くなり、常時接続サービスが始まったら、WEBコミックの弱点も解消されると思っていたら…アレ?
どうもWEBコミックにはまだまだ改善する余地みたいなものが残ってるようです。


へなちょこな描き手ではありますが、WEBコミックの末席にいる人間から言うと、
WEBコミックは描くモチベーションを上げにくいと思います。
これは飲み会で読み手側の人と話していて感じた壁なんですが、読み手側からすればWEBコミック
「そこにあるから読んでる」だけの「タダ」のもので、言ってみれば描き手側の「ボランティア」であり、
感心はするけれど「描きたければ描けばいい」し、「やめたくなったらやめればいい」と。
読み手からすれば、描き手の事情なんて「どうでもいいこと」で「知らなくてもいいこと」だと。


読み手側の人に忌憚のない意見を言ってもらっていて、その意見には納得できるところもあります。
しかし自分は「そこまでWEBコミックの描き手は孤高を貫かなきゃいけない人格者でないといけないのか」とも思うわけで。
「こっちの事情も少しは理解してよ」と。
これが描き手と読み手の壁かしら。
そしてこの描き手と読み手の関係って何かに似てるなぁと。


あ、これって商業マンガの描き手と読み手の関係じゃないか、と。
商業マンガでは、読み手には描き手のことなんて一切理解する必要がない。
読み手と書き手には相互理解はなく断絶だけがあり、ただ作品が流通していくだけ。


しかし商業マンガであれば原稿料というカタチでリターンがあるので、感想や反響がなくてもモチベーションを上げる理由になるでしょう。
けれどWEBコミックにはまったくリターンがない。原稿料どころか感想や反響もまったくない。
ないないづくしで自分自身をすり減らしていく作業なんですね。
そうなると「何のために俺はWEBでマンガなんて描いてるんだろう?」と、描く目的を失ってしまいドロップアウトする。
これがWEBコミックに人が定着しない理由なんじゃないでしょうか。


これを「描き手の甘えだ」と言われればそうなんですが、そこまで描き手は自分自身を追い込まなければいけないのかしら。
そんなにつらいものなら誰も描かなくなりますって。
「つらけりゃやめればいいじゃん」
まさにその通りなんですけれどね。
その思考のジレンマに陥って、描くのをやめてしまった作者さんを何人も見てきました。


ADSLが始まったころはWEBコミックには未来があると思っていたけれど、
未来どころか先細りしてなくなるんじゃないかなぁと飲みながら話していて思いました。
飲み会では「MP3・MIDIページがまず全滅し、キャプチャー系が駆逐され、次は情報系だ!!」とか言っていたけれど、
案外WEBコミックの方が先に消滅するんじゃないかしら。
自分はやっぱりマンガが好きなので、なくなって欲しくないんですけれど。


で、そういう状態にあって、なぜ自分は描き続けることが出来るのかについての話はまた飲み会で(笑)。