分母が違いすぎる。

適当に日記として軽く書いていくことにしても、そういうのに慣れてないので何とも。
Twitterをやり出すと日記の更新が滞るってのは本当だなぁと思います。


んで、東京生活も半年過ぎまして。
満員の電車や人混みの駅構内にはまったく慣れないのですが、あることに自分は本当にイライラしておりまして。
それは「東京は携帯電話や携帯ゲームや本を見ながら歩く人が本当に多い!!」ことです。
もう、なんていうのか通行の邪魔というか、まわりをまったく見ていないというか、「そっちが避けて当たり前!!」みたいに傲岸不遜に歩いてる連中の多いこと多いこと。
ただでさえ混んでるのに、そういう人たちが輪をかけて通行の邪魔になってイライラと。
スタン・ハンセン式のウェスタラリアットでなぎ倒してやろうかと思うぐらい。


で、東京で仕事をしてるうちに考えがちょっと変わりまして。


歩きながら携帯電話や携帯ゲームを見ている人たちは東京を含めどこの地域にも居て、その割合は実は一定。
東京以外にも京都でも大阪でもそういう人たちはいて、割合は一定。
ただ、東京は人口という分母が大きいのでそういう人たちも多くなるんだ、と。
つまり100人にひとりの割合が、東京は分母が大きいので10000人に100人とかになっちゃうということ。


どうでしょうか?


東京はものすごくアタマの回転が速い人も多ければ、そうじゃない人も多い。
ものすごくオシャレな人もたくさんいれば、そうじゃない人もたくさんいる。
お金持ちの人は多いけど、そうじゃない人も多い。
これは東京の人口という分母が大きすぎるからなんじゃないかなぁと。


…そう考えれば携帯電話や携帯ゲームを見ながら歩いてる人のことも許せる……わけあるかっ!!


この東京の「分母が大きい」というのは色々と問題点があるんじゃないかなぁと考えてまして。
それは情報の伝達であったり、世論の形成であったりするんですが。
「分母が大きい=分子も大きい」ことがデマや不正確な情報を広めることになったりとか、分母が大きいがために逆に情報が波及しなかったりとか。
100人の人に伝えるときの声の大きさと、10000人に伝えるときの声の大きさはやっぱり違うからね。


東京と地方、人口の分母が違うことでの常識感が違うことって結構あるんじゃないかなぁと思います。