ネット世論とブログ。

今週の週刊アスキー『仮想報道』は、先週のオーマイニュースの件から、参加型ジャーナリズム、そして個人ブログについての懸念の話へ。

一方的に情報を流してきたメディアが双方向性を持つのは、とりあえず悪いことではないように思う。
しかし、こうした流れはいずれ、ネットメディアは、ネット世論に反することをどこまで書けるのかという問題にぶちあたらずにはいない。
というよりも、そうした問題はすでにいたるところで起きている。
それはメディアだけでなく、個人がブログなどで発信する場合でも同じだ。
何か書こうとしたときに、ネットの多数派の神経を逆なでする内容であることに気づく。
ならば、書くのはやめておこうか、ということはすでによくあることだろう。

これは自分もこの日記で再三書いてきたことで、個人のブログだからといって何でも書けるわけではありません。
個人ブログでもやっぱり自主規制が働きます。
それは仕事の内容であったり、プライベートなことだったり。
その自主規制の定義は人それぞれだと思いますが、最近のブログ炎上事件を見てもわかるとおり、「ネット世論」というのも自主規制の定義のひとつになってるんじゃないかなぁ。


ネット世論に反することは書けない。
書いたら炎上させられて潰されると思うと怖くて書けない。
これってマスコミが現在も抱えている自主規制の図式でもありますよね。
スポンサーや人権団体の意向に反することは報道できない。
報道したらクレームや糾弾が待ちかまえてると思うと怖くて報道できない。
それとまったく同じことですよね。
今やネット世論は圧力になりつつあるんじゃないかなぁ。


ネット上の最近のそういった風潮、他者の異なった意見の存在をまったく認めない排他的な風潮はまずいんじゃないかなぁと、自分も懸念を持っています。


そこで歌田氏が提示するのは

コメント欄を閉じるなど、ネットの双方向性をセーブしながら利用するのは間違いなのか。

という双方向性への疑問。
何でもかんでも双方向性として取り入れるのではなくて、これからは双方向性をどのように利用するか、情報の受け手・ネット世論とどう距離を取るかが重要なことになるのではないかと歌田氏は書いています。
確かにそのバランス感覚はこれからブロガーに必要なものとなるでしょう。


しかし、そこまで行くとすでに「個人ブロガー」の「趣味の領域」じゃなくなってくるような感じが。
気楽に日記書いて、コメント受けて、トラックバック受けて、交流の輪が広がって、双方向性でエンジョイブログライフみたいな、一時期の雑誌記事とはかなりかけ離れた姿ですよね。
だから中段に「ブロガーの生き残る道」というタイトルが付いてるのかな。


ウチのはてなダイアリーにコメント欄やトラックバックの表示がないのは単に「『毒針殺法』でマンガを描いてるボルトの"日記"だから」。
日記にしては内容が日記になっていないのが悩みどころです、はい。