『独身力』前書き

ネットをウロウロしてると某結婚紹介所の「結婚力」というバナー広告がやたらと目について。
じゃあ「独身力」を定義して対抗してやろうかと。


んで、「独身力」って何だろう? って色々と考えて辿り着いたのが僕のこういう考え。


世の中には「結婚できる人」もいる。だけども「結婚できない人」もいる。
これを認めましょうよ、と。
世の中には逆上がり出来る人もいれば出来ない人もいる。
どう努力しても、どうコツを教えてもらっても逆上がり出来ない人はいる。
じゃあどうやっても結婚出来ない人もいるんじゃないの? と。


「結婚できない人」をことさらあげつらって「キモオタ」とか「腐女子」とか言ってその人の容姿に問題があるように言う人がいるけど違うんだと。
結婚できないのはその人の人間性に問題があるようにネットやマスコミでは言うけど違うんだと。
ニワトリが空を飛べないように、同性愛者が同性しか愛せないように、「結婚したくても結婚できない人」っていうのはいるんだと。
どう努力しようが、どう行動しようが、どう考え方を改めても「結婚したくても結婚できない人」ってのがいると。
むしろ「誰もが結婚できる」って考えのほうが間違ってんじゃね? と。


恋愛至上主義で消費活動のモジュールが「カップル」か「家族連れ」になってる今の日本。
カップル」になれない、「家族連れ」になれない、それはその人個人に問題があるせいだと押しつけられ、消費活動に参加するように言われますが、それは違うんだ、と。
「誰もがカップルになって、結婚して、子供を作る」って考えがそもそも間違ってんだ、と。
それが出来ない人もいるんだ、と。


ニワトリは空を飛べない、同性愛者は同性しか愛せない、人間は5分も10分も水の中に潜ってられない、それと同じように「結婚したくても結婚出来ない」人は存在する。
その「結婚したくても結婚出来ないことを認めるチカラ」、これが「独身力」じゃないかな? と。


「僕は結婚できない」「僕は結婚できない」「僕は結婚できない」
「私は結婚できない」「私は結婚できない」「私は結婚できない」


これを自覚して独身で生きていくんだと決断すれば、「結婚」というプレッシャーから解放され、楽しい独身ライフを送れるんじゃないかなぁと。
「独身」は「結婚」出来なかった人間の敗残のスタイルじゃなくて、そもそも「結婚」出来ないんだから仕方ない、仕方ないんだから考えても仕方ない。
じゃあ「独身」を満喫したほうが生産的だよね? と僕は思うのです。
独身の人の財力は家族持ちの比じゃないですからね。
団体や家族連れを狙うあまりに低迷してる旅行業界はなぜ「おひとりさま」を狙わないのか、僕は不思議で仕方ないですけど。


自分は結婚に向いてないんだ、自分はひとりで生きていくんだ、と自覚する「独身力」を持った人向けに色々書いていこうかなぁと思います。


<PS>
誰もが「結婚して子供を産んで当たり前」ってスタイルって間違ってると思うんだよなぁ。