なぜサヨクは新聞を守るのか?

暇だったので何か面白い本がないかなぁと本屋をウロウロしてると「新聞社の徹底研究 新聞ジャーナリズムの危機とは何か」と書かれた背表紙が。
いつも新聞を批判してるワタクシとしては何か目新しい話題があるかなぁと購入。


しかし読み進めて行くうちに「あれ?」「あれれ?」「あれれれ?」の連続。
何だこのお花畑記事は? と。
帰宅して調べてみると『創』ってのはサヨクの機関誌だそうで。

http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/index.html
サヨクの機関誌ということでその内容にも納得いたしましたが。


とにかくねぇ座談会での話が酷すぎ。
「なぜ9条世界会議を新聞は取り上げないのか!? 扱いが小さすぎ!!」とか
「読者への迎合に走りがち」とか
派遣村報道はすばらしい報道だった」とか
「税金で新聞を支援しろ」とか
「新聞記者とは社会変革をやるんだ」とか
「読まれるものじゃなく、読ませるのが新聞」とかね。
アタマが痛くなるでしょ?


さらに各紙の変革への取り組みをマンセー!! 新聞の未来はバラ色だぁ〜!! とかやってんの。
変態記事批判のせいでアクセスが増えた毎日のアクセス数アップを喜びまくってるし、もう目もあてられない有様。


税金で新聞を支援しろ!! って言うんなら、その過剰人員と超高給にまず言及してみなさいよ。
読者への迎合に走りがち? 「麻生首相の漢字の読み間違い記事」なんて、みんなが読みたい記事だと思ってるのかしら?
「読ませるのが新聞」? だからあんな暴力的勧誘が許されるとでも?
さらに押し紙や販売店の窮状にはまったく触れていないし。


んで、なぜ『創』が新聞擁護記事を書いてるのかなぁと思ったら、新聞がサヨクに取って国民への洗脳装置だからなんですね。
マス洗脳装置の最後の砦。
だから新聞がなくなってもらっては困ると。
それでこの気色悪い記事が読み解けたのですが。


自分が新聞批判をするとき何度か書いたと思いますが、新聞の凋落は「新聞社が読者に向き合って記事を書いていないから」です。


日本人は一生土下座して謝罪して生きていけ!! なんて風潮で書かれた記事なんて誰が読みたいと思いますか?
地震で被災した人たちにカメラを向け、事故現場ではハイエナのように死体のショッキングな写真を追い求め、「可哀想だ、可哀想だ、人が死んでんねんで!?」と被災者を晒し上げて連呼。
「某国が日本に抗議した」とは書かず、「日本が某国に抗議された」と書き、あたかも日本が悪いかのようにミスリード
首相の漢字の読み間違いは一面で大々的に取り上げるのに、次期首相が確実視される野党党首の秘書逮捕は「国策捜査だ!! 権力の横暴だ!!」と騒ぎ立て、火の手が大きくなりそうになると華麗にスルー。


そういう記事を読者が本当に読みたいと思っているのでしょうか?
あなた方はいったい誰に対して記事を書いているのですか?
日本国民である日本人に対して、いっさい向き合っていませんよね?
だって反日売国サヨクの洗脳装置ですもんね、新聞は。
新聞、なくなっていいよ、もう。


「これからは読者に向き合って記事を書いていきます」と、なぜ新聞は言えないのかなぁ。
これも何度も言ってることですが、大切なのは「お客様主義」です。
購読者の都合が大切なのであって、新聞社の都合なんて二の次、三の次です。
でも新聞社にとって大切なのはあくまでも「新聞社の都合」で読者の都合なんて「そんなの関係ねぇ!! だって新聞は読ませてやってんだ!!」ですもん。
そりゃ凋落していくのが当たり前ですよ。


「お客様主義」の考え方にいち早く気付き、改革を実行することこそ新聞の生き残る道だと思いますけどね、自分は。
ドアをどんどん叩きまくり、「近所に引っ越してきました〜」と身分を偽るような勧誘を野放しにし、身元があやふやな人間を配達員にしてるようじゃ生き残りは無理でしょう?
お客様と直接接するのは「新聞紙」だけじゃないですから。


新聞を配達することで「自分は何か社会の役に立ってるんだ」という使命感に燃えていたころが懐かしいなぁ。
そういう使命感を感じる新聞をもう一度配らせてくれよ? と思う元新聞奨学生の自分なのでした。