『ジャーナリズム崩壊』

夏コミ参加のために行きの新幹線で読んだ本。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

毎日新聞はこの本に書かれているジェイソン・ブレア事件や海外紙の訂正記事について読んだ方がいいと思うけど、もう遅すぎるかもなぁ。

新聞は間違いを犯すたびに同じような対応を繰り返してきた。
まずはミスを隠そうと試みる。
それがかなわないとなると、別の記事でごまかそうとする。
それでもバレてしまいそうな場合はできるだけ目立たないようにできるだけ小さく訂正記事を載せる。
たとえ1面で大きく扱っても、訂正は3面の隅に小さく載せる。
これで運が良ければ読者に気付かれない−。
それが誤報における日本の新聞のモットーである。

毎日新聞やその他の新聞社には耳が痛い言葉じゃないでしょうか。
訂正記事の掲載を恥だと思うのではなく正常なチェック機関が働いている証拠と考える海外紙と、訂正記事を出世の妨げだと考え隠蔽しようとする日本の新聞社。
どちらが本当に「読者のため」になってるのでしょうか。


この本で自分が一番参考になったのは、海外では新聞社と通信社の役割が違うということ。

日本でいうジャーナリズム精神とは、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当する。
ワイヤーサービスとは、日本でいうと共同通信時事通信のような通信社のことを指し、速報性をその最優先業務とするメディアのことだ。
いわゆる海外でのジャーナリズムとそれとは一線を画す。
単に、時事的な事象を報じるだけではなく、さらにもう一歩進んで解説や批評を加える活動を一般的にジャーナリズムと呼んでいる。

つまり、どこそこでこんな事件が起きましたよ〜ってのを素早く伝えるだけってのはジャーナリズムではなく、発生した出来事を深く掘り下げ、その事象がいったい何であったのか? を様々な視点から検証・分析・解説するのがジャーナリズムだと。
そう考えると速報性を重視する日本の新聞は単なるワイヤーサービスメディアであり、ジャーナリズムではないってことになりますよね。
じゃあ日本でそのジャーナリズムが発揮されてるメディアってのは何かというと週刊誌。
新聞と週刊誌との関係もこの本で面白おかしく書かれているので、興味のある方は是非とも。


あと、自分が一番興味を持ったのはブログについてのことかな。
上杉氏もやはり「記事は実名で書け」の実名派なんですよね。
匿名では責任の所在や記事の信憑性の裏取りが出来ないから、と。


匿名派の自分はこの本のブログに関する文章を読んでいて、匿名派と実名派が何故に食い違うのか? がちょっとわかったような気が。
実名派の着地点は「プロジャーナリズム」であり、匿名派の着地点は「アマチュアジャーナリズム」。
その目指す着地点が違うから匿名派と実名派の意見がかみ合わないんじゃないのかなぁと。


例えばオイラがブログを利用してプロジャーナリストを目指したとします。
そうしたら実は匿名の方が不利なんですよね。
匿名で記事を書くことで、自分の記事の検証・分析、取材へのアプローチの甘さが出てしまうから。
さらに他者による検証・分析・批判も匿名だと困難になるし。
それは結局ジャーナリストとしての自分の首を絞めることになると思うのです。
実名を出す以上、どこに出しても恥ずかしくない文章を書こうと努力をする。
その自分に課した高いハードルこそがジャーナリストに必要なんですよね。
だから実名派の言いたいことがこの本を読んで少しわかったような気がします。


でもね、ブログを開設してる人、みんながみんなプロジャーナリストを目指してるわけではありません。
食べたモノや読んだ本の感想を普段はダラダラ書いてるブログでも「私が知り得たこんな情報を秘匿しておくのは世間に申し訳ない」という義憤とか義侠心にかられることもあるわけです。
そういう人にとって匿名ブログはとても便利なんですよ。
オイラもそういうタイプの人間ですから。


そう考えると「ブログ」と一括りに「ブログとは○○である」という定義は必要ないし、匿名・実名もどっちでもいいんじゃないかなぁと。
発信したい情報に応じて発信するメディアを使い分ければいいだけじゃないかなぁ。
プロジャーナリズムを目指す人は実名で書けばいいし、そうじゃない人は匿名で書けばいいし。
「ブログは実名か? 匿名か?」を言い争うってのは不毛なことだと思います。


ただ、「ブログはプロジャーナリストのツール」っていう上杉氏の意見には自分は「NO!」ですけど。
「匿名で発信された情報の底をさらう」ことこそがプロのジャーナリストの仕事だと思いますので。