『むかし僕が死んだ家』

読んだ本の感想を書くときもあるのです。

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

週刊アスキーの書評に取り上げられていたので読んでみました。


んで、ミステリーのネタバレについて色々あーだこーだな人はお帰りください。
オーケー?





























帰ったかしら?
ネタバレ感想はやだ〜っ、って人は他のページへの移動をお願いします。
































この『むかし僕が死んだ家』。
「僕が」「死んだ」ってのが読者にはとらえきれないんじゃないかなぁ。
「私が死んだ」とか「彼女が死んだ」ならわかるんだけど、タイトルが「むかし僕が死んだ家」。
「僕」っていったい誰なんだ? と。


この作品、ある「常識の思い込み」がミスディレクションというか、トリックになっています。
というか、『白夜行』も『幻夜』も、この「大人の思い込み」がトリックに使われてますよね。
そのトリックをトリックとして使い回すっていうか、それに騙されてる大人ってどうなのかしら? と思います。


子どもは天使でもなんでもない。


<某普遍的価値観なんてまやかし>


「子どもは大人を殺すわけがない」って思い込みを持ってる人は東野圭吾に騙され続けると思います。


「子どもは大人を殺すわけがない」「殺せるはずがない」という、世間の思い込みが蔓延してるかぎりは東野圭吾に翻弄されるかもね。
子どもは天使じゃないですよ、皆さまがた。