『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』

上京前に、読んだ本の感想とか。

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

悪名高い「2ちゃんねる」が潰れない理由を「需要と供給の関係」と単純明快・一刀両断に管理人・ひろゆき氏が斬っている本。
2ちゃんねる」が潰れても「2ちゃんねる的なもの」は必ずどこかに出来るのだから、「2ちゃんねる」を潰すのは無意味だと。


でね、そこで思ったのは「2ちゃんねる」を潰したい人たちってどういう人たちなんだろうかなぁと。
それも2007年現在の「2ちゃんねる」を、ね。


その昔、1999年頃、「2ちゃんねる」開設当時はネット人口はまだ少なくて、ネットの世界って狭かったんですよね。
その頃「2ちゃんねる」って絶大な力を持っていたと思うのです。
ネット世界に対して。
2ちゃんねるに晒される=ネットユーザーとして即死」みたいな。
これはやっぱり当時のネット世界が狭かったからだと自分は思うのです。
ネット世界が狭くて、いじって遊んで面白がれる対象が少なかったからこそ、ちょっとしたことでも「2ちゃんねらー」が押しかけ、今で言う炎上に繋がったと。


でもね、今やちょっとパソコンをいじってる人なら「2ちゃんねる」なんてみんな知ってるわけです。
1999年当時なんかと比べるととんでもなくネット世界は広がってますし。
そうするといわゆる「2ちゃんねらー」も、1999年当時の「2ちゃんねらー=パソコン・ネットに詳しい先鋭的な人」だったのに対し、今は「2ちゃんねらー=普通にパソコンや携帯を使う普遍的な人たち」になってるんではないかと。
だから「2ちゃんねらー」にとっての"需要"も1999年当時と2007年現在では変わってきてると思うし、「2ちゃんねる」が存在する意味も変わってきてるんではないでしょうか。
市場論においても"需要"なんてどんどん変わるものですしね。


そこで自分が思うこと。


いま現在のネットユーザーの需要を満たす「2ちゃんねる」に潰れてなくなって欲しいと思うのはどんな人たちなんだろうか? と。
「匿名=悪」ってのは1999年頃のネット倫理ではそうだったかもしれないけれど、いま、2007年はその倫理は通用しないんではないかと。
だって匿名であることをネットユーザーが望むから「需要と供給の関係」として「2ちゃんねる」が存続しているのだから。


じゃあ、匿名だとどうしても困る、絶対に実名でないと困る!! っていう需要の方が自分は知りたいんですよね。
アナタは実名を知ってどうしたいの? と。


実名の方がいいや、っていう需要の方が高まれば「2ちゃんねる」の方が自然に潰れるのではないでしょうか?
2ちゃんねる」を潰したい!! 匿名での書き込みは赦せない!! っていう人はネットユーザーに対し「実名のメリット」を説明し、ネットユーザーがそれを望む、需要を持つ方向に導く必要があるんじゃないかなぁ。
「匿名=悪」「匿名での書き込み=卑怯者」なんてのはその人個人の倫理観であって、ネットの、市場的な需要ではないですよね。
だからいくら「2ちゃんねるは赦せない!!」と言っても、誰もネットにおける実名文化でのメリットを説明しないし、実名文化の需要を高めようとしないのだから、匿名文化は支持されていくし、「2ちゃんねるはなくならない」とひろゆき氏に言われちゃうんですよね。


じゃあ誰か「実名で書くことに需要がある場所」を作れば…って、そういやmixiなんてのもありましたね。
でも今やmixiに実名で登録してる人なんています?


「実名であること」に需要がないかぎり、「2ちゃんねる」は続いていくと自分は思います。