『アイドルマスター』はじめました。

で、『アイドルマスター』の初期プレイ感想。


天海春香(Dランク)、如月千早(Bランク)、菊池真(プレイ中)とプレイしてきて感じたのは、まずこれは「ゲームである」ということ。
ギャルゲーやノベルゲーなんかの「選択肢や分岐はあるんだけども、基本は決められたシナリオを追っていく一本道の紙芝居」ではありません。
紙芝居ではなくゲーム。
これが自分にとってはショックでした。


アイマス』はオーディションで勝ってファンの数を増やし、ランクアップしないとそのキャラとの濃密なイベントが見られないので、とにかく勝つことがすべて。
そのためにキャラクターの進むべき戦略を考え、それに対しレッスンやオーディションなどの戦術の実行。
さらにオンラインでの他者との駆け引き。
ギャルゲーの皮を被ってるけれど、中身は硬派なシミュレーションゲーム
こりゃ中毒になる人間が続出する理由がよくわかります。


アイマス』でランクアップしようと思うと、ほとんどオーディションにかかりっきりになるときがあります。
アイマス』のギャルゲーとしての醍醐味は営業でのイベントだと思うんですが、一々イベントを回収してるわけにはいかなくなります。
でもねぇ不思議なもんで、オーディションにかかりっきりになって、イベントが見られなくてもそのキャラに愛着が湧いてくるんですよね。
オーディションに落ちたら悔しいし、TV出演でアクシデントが起こると「あー、次こそはもっと上手く出来るように!!」なんて思っちゃうんです。


こういうキャラへの愛着ってマリオとかと同じですよね。
マリオなんかはギャルゲーのようなイベントシーンはありません。
でもゲームをやりこんでいくうちに愛着が湧いてきますよね。


ときメモ」も卒業式の日に伝説の樹の下で告白を受けるという目的があるだけで、シナリオもなく、自由度が高いゲームでした。
それがいつしかギャルゲーは一本道のシナリオを追う紙芝居になっちゃったんですよねぇ。
一本道の紙芝居になってしまったことでギャルゲーのパターン化・記号化を招き、それが出尽くして結局飽きられるという結果になってしまったのではないでしょうか。


絵で萌えさせるんじゃなく、ゲームをやりこむうちに湧いてくる愛着。
ギャルゲーのイベント絵という記号から受けられる感情はほとんどの人が同じですが、ゲームをやりこむうちに湧いてくる愛着はプレイスタイルの数だけあります。
それこそがギャルゲーが、いやゲームが本来持っていた「萌え」だと自分は思います。


と、色々書いてきましたが『アイマス』はゲームである分、最近のギャルゲーに慣れた人には向いていないかもしれません。
一本道の紙芝居は、逆に言えばイベントシーンの回収もしやすいってことなんですね。
だから「CGフルコンプ!!」とか「ギャルゲーの醍醐味はイベントシーン!!」なんて人が『アイマス』をプレイしたら、かなりかったるくてつまらないかも。
YouTubeニコニコ動画アイマス動画を見て購入を決めたら、かなり期待を裏切るのでは?
そういう意味ではプレイする人を選ぶゲームだと思います。