オタクはどこに行った?

昨日の「オタクの定義化」に関連して、自分が一番端的に今のオタクの状況をあらわしてるなぁと思ったのがこれ。



週刊アスキー『日常の量り売り』寺島令子画より)

マンガ家・寺島令子氏が愛知県のロボットミュージアムに行った様子を描いたレポートの中のひとコマ。
ロボットミュージアムについてはこちら。

http://www.robot-museum.net/index.php
これでガンダムが展示されてればオタクがいっぱい居たんでしょうけれど、ガンダム以外のロボットには興味なさそうですもんね、今のオタクって。
萌えとガンダムが今のオタクのテリトリー。


「オタク=萌えコレクター」という図式が定義化され、一般化することについて、昔の自分なら「違う!!」と声をあげていただろうと思いますが、今は「別に」って感じです。
住むところが違う別の国の話なんだなぁって感じ。


「オタク=萌えコレクター」ということで「オタク向け」と呼ばれる商売のほとんどが萌えキャラグッズの販売ですよね。あとガンダム
「オタクってこういうキャラに萌えるんですよね!? 萌えグッズいっぱい買っちゃって下さいよぉ〜!!」みたいな人をなめた商売も、昔なら「オタクをなめるな!!」って憤っていたと思うんですが、今は何か違う国の税収みたいな感じ。
搾取するんならどうぞ、自分は関係ないから、って。


国が違うんだからどうでもいいやと考えるのは、それこそ岡田氏が『オタク・イズ・デッド』の中で語っていたように「オタクには帰る国がなくなってしまったんだよ」に通じるものがあります。
帰る国がないんだから、もう自分たちの国を守るために戦う必要もない。
理論武装や反論もする必要がない。
作品の昇華を願った批判や批評、感想を述べる必要もない。
かつて「オタク」と呼ばれた国があった場所で何がおころうと、そこは自分の国じゃないんだからどうでもいいや、と。


「オタク=萌えコレクター」と定義されたことで、実はほっとしたっていうのが本音なんですけどね、自分の。
オタキング・岡田氏が「オタクの国はなくなりました」と宣言することで、あぁ、もう戦わなくていいんだ、と。


それだけの話。


そう考えた上で今『プチクリ』を読むと深く感じるなぁ。
単なる「アマVSプロ論」みたいな本じゃなかったんだなぁ。
オタク・イズ・デッド』と『プチクリ』はセットで読まないとやっぱりわからないと思いますよ。
セットで読んではじめて「オタクの死と再生」の意味が読み解けるんですから。


2007年は『プチクリ』な生き方をしたいなぁと思いました。