隠したいものはなんですか?

2006年1月17日は色々大きなニュースがあり、そのどれについて書くか悩んでる方もいらっしゃると思います。
自分はそれらニュースを個別に考えるんじゃなく、それらを通して「マスコミのひどさはいつも変わらないなぁ」ということを実感した日でした。


古いところから行くと「宮崎勤事件」。
逮捕当時、マスコミ誘導による大オタクバッシングがあり、「アニメを見ると犯罪者になる」とまで言われました。
自主規制で真っ白けになったマンガ単行本ってのもありましたね。
「ここに十万人の宮崎勤がいます」と報道されたりして、千葉のPTAによりコミケが幕張を追放される遠因ともなりました。
とにかくマスコミ誘導によるオタクバッシングはすさまじく、少しでも「あの人はオタク」という噂が地域社会に広がれば社会的に抹殺されるという状態。
だから当時のオタクはオタクグッズを隠れキリシタンのように仕舞ったりするという、暗黒の大弾圧時代でした。


そういう時代を見てきてる人間からすると『電車男』だの『萌え』だの『秋葉原』でオタクを商売にしようとしてるマスコミの底の浅さが見えてしまうんですけどね。


少女がらみや猟奇な事件が起きるとまずオタクの犯行とマスコミが断言しだしたのもこの事件がきっかけでしたね。
オタクの犯行率と性犯罪者の再犯率、少年犯罪の発生率を比較してごらんなさいな。
マスコミはつくづく無責任というのを感じたのがこの事件。


で、「阪神淡路大震災」。
当時自分は東京に住んでいたのですが実家は大阪にあり、実家がどうなってるのか調べるのが大変でした。
電話も繋がらず、頼みの綱はマスコミによる報道だったんですが、この内容の酷いこと酷いこと。
誰がどういうふうに悲惨に死んだかを伝えるバラエティ番組。ザ・残酷ショー!!
もちろん交通の振り替えや、被災地でどういうものが必要とされているかの情報の報道は一切無し。
去年のJR事故のとき「人が死んでんねんでっ!?」と声を荒げる記者がいたように、政府関係者にマスコミが声を荒げて詰め寄り、それをテレビで流すことで悦に入り社会正義の権化面してました。
しかしそのとき冷静に現地ではこういうものが必要ですと情報を伝えるマスコミがいたら、何人か救える命はあったんじゃないでしょうか。


そういう残酷ショーを流していたテレビが「震災の記憶を風化させず」とか「追悼の意を」なんて言ってもちゃんちゃらおかしくて。
マスコミはまず阪神淡路大震災で、自分たちがどういうおこないをしたのかを反省しなさいよ。
去年のJR事故で同じようなことを繰り返している様子を見てると、反省も自己批判もなく、残酷ショーで視聴率アップしか考えていないと思いますけどね。


早い順で行くとライブドア家宅捜査の方が先か。
これもねぇ、六本木ヒルズの前でマスコミが待ちかまえているところをみるとマスコミは事前に情報をつかんでいたんでしょう。
当日のニュースの特集記事がすべてコレになってたってことは「16日にガサ入れ」ってのは知ってたんだろうし。


検察のガサ入れって二種類あるんですよ。
まったく相手に悟られずに電光石火でガサ入れをかける家宅捜査と、じゃあ今から行きますからと事前に予告してから行く家宅捜査。
今回は明らかに後者。
そうであれば「なぜ17日というタイミングに合わせてきたのか?」と視聴者に疑われても仕方ないと思うんですよ。
なぜ17日の新聞に載る16日の夜に捜査しなければいけなかったのか? と。
しかも16日にガサ入れがあるってのはマスコミは知っていたわけで。
「なぜ16日だったのか?」の説明がないと、マスコミぐるみで一番隠したい事件を隠したことを疑われても仕方ないと思いますよ。


で、真打ち「ヒューザーの小嶋社長証人喚問」。
安倍晋三官房長官秘書との繋がりが出てきましたが、マスコミの方には「なぜ安倍官房長官の秘書のところに相談に行ったのか」追求して欲しいですねぇ。
「安倍さんに頼めば何とかなったの?」と。
何とかならない人のところには誰も頼みに行かないですよね。
何とかなると思うから頼みに行くわけで。
それじゃあ小嶋社長の頼んだ「何とかして」の内容はなんだったのか? と。


このマンション耐震偽造に関してはどうもマスコミも歯切れが悪いんですよね。
それはなぜか?
マンションのデベロッパーがマスコミの大スポンサーだから。
だから核心をつけないんですよね。


17日の大きなニュースを通してわかったのは、マスコミは恣意的な大弾圧キャンペーンをやるし、視聴率のための残酷ショーの放送はおこなうけれど情報の報道という公器の役割を果たさないし、国家権力にはなびくし、スポンサー様には逆らえないし、というだらしなさっぷり。
おそらく10年後もマスコミのこの有り様は変わらないでしょうね。