調べもので困るとき。

ネットで調べものをしていて困るときが自分はあります。
それは「メモ」や「備忘録」や「リスト」として名前だけを書きつづってるブログや日記に出くわしたとき。


例えば放送されたアニメの評価や感想を知りたいとき、自分は番組名でブログ検索をかけます。
「自分はこういう感想を持ったが、他の人はどういう感想を持ってるのだろう?」というのが知りたくて。
そうすることで自分には見えなかったものが見えたりするので、とてもためになります。
しかし何の記事もコメントも書かれていない、ただ番組名だけの「メモ」や「備忘録」や「リスト」に引っかかるとガックリきます。


購入した、あるいは購入しようと思っている商品の評価や使い方を検索するときも、これら「商品名だけのもの」にひっかかるとやっぱりガックリきます。


何の記事もコメントもついていない「メモ」や「備忘録」や「リスト」に出くわすと非常にガックリきます。
なのにこういうページの方が検索の前の方でしっかりひっかかったりして時間を取って仕方ないんですね。
(ひっかかった自分のせいで検索順位が押し上げられて、他の人がまたひっかかるというのもあるんですが)


こういう記事・コメントなしで名前だけを延々と「メモ」「備忘録」「リスト」としてブログや日記に書いてる人って、どういう理由でそれをおこなってるのかしら?
ものすごく好意的に考えれば、おそらくそれらの名前を書くことで「私はこういうものに興味を持っている人間です」というのを示したいんだろうと思うんだけど、それによって示されるのは単にそこが「邪魔なブログや日記」ということだけなんですよね。
「できればやめてくんねぇかなぁ〜」って。


「いや、これは誰かにみせるためのものではない。自分が便利だから書いてるんだ。」
というのであればPDAやメモ帳に書いてればいいし、my Yahooのスケジュールにでも登録しておけばいいんであって、第三者も見られる場所に置くものじゃないよなぁと思うんです。


自分は賛成・反対、肯定・否定、文章の長短にかかわらず、記事やコメントが集積していくことには価値があると思います。
"ある事柄"について単に「面白い」「面白くない」というだけの文章も、それが"ある事柄"に対する感想として集積されたときには価値があると思うんです。
それは日記についても同じ。
しかし「メモ」や「備忘録」や「リスト」に載ってる名前を集積したって、どこまで集めても"名前"という情報そのものでしかないんですね。
集積したって"名前"という情報以外の価値を持ちません。
逆にそれらが集積することで、なかなか自分が望む情報に行き当たらないという調べものの妨げになっていると思うんです。


もしかすると自分だけが迷惑がってるだけで、他の人にはこういう「メモ」や「備忘録」や「リスト」って役に立ってるのかしら?
それら「メモ」や「備忘録」や「リスト」を書いてる人って、「書くことがないから」で書いたりしてないですよね?