『野村ノート』

今日の一冊。

野村ノート


先日、この本と同じ内容で叱咤されたので読んでてとてもへこみました。
特に自分の自己中心的すぎるところを変えなさいと言われたのが同じでなんとも。
日頃のおこないを反省し、日頃の積み重ねで変えていきたいと思います。
「心が変われば態度が変わる」


自分は常々自称評論家な人々に「?」と思っていたんですが、この本の終章でなぜ自分が「?」と感じていたのか書かれてるポイントがあったので紹介。

解説者はただ選手を褒めちぎり、結果論だけで選手を評価する。人を評論する、すなわち人物の良否を判断するには基準や根拠が必要だが、最近の評論を聞いていると基準も根拠も見あたらない。いわば結果について自分の感想を言うだけ。場当たり的な解説を聞かされていては、視聴者も野球を見ていて学ぶものは何もない。

これ、以前自分が書いた「批評家きどりの人間が陥りがちな悪文の書き方」と同じだと思うんです。
野村監督の文章を「悪文の書き方」としてまとめるとこんなところでしょうか。

○個人の嗜好、好き嫌いで物事を書く。
○悪いところを悪いと書けない。
○結果論で書く。
○基準や根拠が明確ではない。
○感想を書く。
○場当たり的で、辻褄が合わないことを書く。

これは「評論」ではなく「感想」ですよ、と。
評論家であるなら感想文じゃなく評論文を書きなさいってことだと思います。
この本の内容的に書くなら、それが評論家としての原理原則・原点ですよってことでしょうね。


この本とは関係ないのですが、自分の印象に残った言葉にこういうのがあります。

「あんたはプロレスをやるプロだが、俺はプロレスを書くプロだ!!」

名前は忘れたけど、あるプロレス評論家がプロレスラーに「リングで受け身を取ったこともない人間にプロレスのことを書けるわけがない」と言われて言い返した言葉。
ここまで言い返せる気構えを持った評論家はどれだけいるでしょうか。


単なる感想を書くのも難しいのに、それを評論として書くことがどれだけ難しいか。
だから評論家には「プロ」が居るわけですしね。