「ネタがないとき、どうしますか?」

今日はこの話、「ネタがないとき、どうしますか?」

  • 「更新は義務じゃないんですよ」(むだづかいにっき♂さん)

http://blog.goo.ne.jp/simauma_dx/e/363a2f5bd1590116a797dde2255a3e3f


「ネタがない時どうしますか?」と聞かれて「ネタがない時は更新しない」っていうのもひとつの手だと思います。
しかしそうなると「昨日も今日も明日もネタがない」状態が続き、ブログやサイトは更新されず、更新されないから訪問者も増えず、訪問者が増えないから続けていくモチベーションが下がり、結局閉鎖なんてことになったりします。
だから"ネタがない"人が知りたいのはどうすれば"ネタがある"状態になれるのか? ということではないでしょうか。
それでは「ネタがないとき、どうしますか?」、自分の場合を書いてみます。


「ネタがないとき、どうしますか?」
自由連想法をおこないます。」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%CD%B3%CF%A2%C1%DB%CB%A1


自由連想法については検索して調べていただければいいかと思います。
まったくネタがない状態のときにこの自由連想法はかなり有効です。


自分のマンガで自由連想法の例を挙げてみましょう。

  • 「一日目?二日目?三日目?」

http://bolt69.web.infoseek.co.jp/05040101.gif
まず「愛・地球博」という言葉から連想していきます。
愛・地球博で何かネタを」
「そういえばモリゾーとかキッコロとかいうキャラがいたなぁ」
「最近何でもキャラを擬人化するのが流行ってるよなぁ」
「それだったらあれってオスなのかメスなのか、どっちだろう」
「オス同士ならヤオイ、メス同士ならユリになるのかなぁ」
ヤオイだったらモリゾー×キッコロなのか、キッコロ×モリゾーなのかなぁ」
カップリングで問題が出そうだなぁ」
「そうするとコミケでは何日目のジャンルになるんだろう?」
「じゃあヤオイネタだから如月さんで描こう」
で、描いたのが上のマンガ。


こういうふうにひとつの言葉から自由に連想して考えていきます。
この文章を書いてる途中にも自由連想が思い浮かびまして
「そういえば愛・地球博でこんなマンガを描いたなぁ」
モリゾーとキッコロ、戦ったらどっちが強いんだろう?」
モリゾーとキッコロ、着ぐるみなんだよなぁ」
「じゃあ着ぐるみのバイトがいるよね」
「じゃあバイトキャラの舞佳さんと渡井さんがモリゾーとキッコロの着ぐるみで戦うってのはどうだろう?」
…って、描けば良かったなぁ。もったいない。
愛・地球博」という言葉で連想してみたのですが、こういうふうにひとつの言葉から自由連想していけばネタが尽きることはありません。


それでは他の例。

  • お題ばなし

http://bolt69.web.infoseek.co.jp/05040501.gif
これ、まさに自由連想をそのまま描いた一本。
おそらくコレを描いた当時、学校の更衣室で盗難事件があった記事を読んだのでしょう。
「盗難事件」
「じゃあ注意の張り紙をするんじゃないかなぁ」
「それじゃあその張り紙を見たリアクションを」
「ヒロイン三人に大喜利形式で」
という連想だったと思います。
今このマンガを見ると
「盗難事件」
「張り紙」
「みのりちゃんが虹野さんのロッカーを監視」
「不審者で通報されちゃう」
ってのが思い浮かびました。


他にも例えばこのニュース

  • 不明の水中ロボット発見 琵琶湖、捜索中に浮上

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051006-00000230-kyodo-soci
「潜水ロボットが行方不明」
「どうやって探すんだろう?」
「ロボットがロボットを探しに行ったらギャグだよなぁ」
「巨費を投じて潜水ロボットを探すための潜水ロボットを開発」
「それも行方不明に」
「紐緒さんがそのロボットを探すためのロボットを探すロボットの開発依頼を受ける」
「じゃあそのロボットの形式は〜」
なんてのがパッと思い浮かびました。


こういうふうにひとつの言葉から連想していくこともできますし、まったく関係のない事柄や言葉をバーッと出して繋ぎ合わせる連想法ってのもあります。


ただ、この自由連想法によるネタ出しはふたつ問題があります。
ひとつはある程度の訓練というかトレーニングが必要なこと。
もうひとつは自由連想法で出したネタが他人に必ずウケるわけではないこと。最悪、自分一人だけが「面白いっ!!」と思っている可能性があること。
(自分のマンガや文章はこれが多いと思います。すみません…。)


自分の場合もうひとつ問題がありまして、ネタを思い浮かんでもそれを絵に描けないことがあること。
先ほどの潜水ロボットネタの場合、自分はロボットの絵を描けないので、描けないなりの表現にとどまります。
これが自分で歯がゆいのですね。
絵を描くチカラがもっとあればなぁといつも思ってます。


自分はこの自由連想法でネタ涸れすることはないのですが、どうでしょう?


<PSその1>


この自由連想法はあくまで自分の自由に連想するモノであって、必ずこうしなければいけないという連想はありません。
連想に正解はないのです。
だから自分の自由に連想したモノであればどんな突飛な連想でも構いません。
自由連想法を使う場合どうしても「自分が正しいと思う」連想をしてしまいがちなので、数学的な「正解を求める思考」になれた人にはかなり難しいと思います。



<PSその2>


「ネタがない」と言っちゃう・書いちゃう人ってこの「正解を求める思考」にハマりこんじゃうんじゃないかなぁ。
「正解のネタを書かなきゃいけない」という落とし穴に。
で、その正解がわからないから「ネタがない」と書いちゃう。
それって答案の回答欄を空白にするのと同じだと思うのですね。


「何を書いても良いので何か書きなさい」という問題でも今は正解を教えようとするじゃないですか。
こういう回答が望ましいからこう書きなさいという模範解答を。


ものごとには何にでも必ず正解があると学校では教育されますが、その何にでも「正解を求める思考」が個性というものを失わせてるんじゃないかなぁ。
「正解じゃないからダメ!!」みたいな考え方は思考の萎縮を生んじゃうと思うのです。
「ネタがない」の正体はその思考の萎縮じゃないかなぁ。
「何を書いても良いので何か書きなさい」という問題に、絵描き歌でドラえもんを描くクソ度胸が欲しいところ。


ちなみに自分は「マンガはこう描くのが正解」という「正解を求める思考」だったらマンガなんか描かなかったと思いますよ。
だって「こう描くのが正解」という描き方では描けないもん。