「しゃべり言葉」と「口語体」。

「自分らしさ」を出した文章を書くために、文章を「しゃべり言葉」で書いちゃう人もいると思います。
その方が親しみが持てるし、"私"というパーソナリティを理解してもらえるだろうと。


そこで、ちょっと待った。
「しゃべり言葉」を「口語体」だと勘違いしている人、いませんか?

http://www.ne.jp/asahi/tech/com/01Tech/01-07.html


人に読んでもらう文章を書くときは「しゃべり言葉」は御法度なのです。
その理由は「しゃべり言葉」は基本的に相手と対面してコミュニケーションを取るときに使われる言葉だからです。
対面してのコミュニケーションでは「しゃべり言葉」で足りない部分を言葉の大小・声色・速度・表情・態度・身体の動きで補うことができます。だから「しゃべり言葉」でも相手に正確な情報や感想や意志を伝えることができます。
しかし、紙媒体やネットではそれがなく、文字だけで正確な情報や感想や意志を伝えねばなりません。
だから人に読んでもらう文章を書くときには「しゃべり言葉」ではなく、文章を書くルールに則った「口語体」を使う必要があります。


だけど文章を書くルールに則って文章を書くと文章が硬くなってイヤだ。それよりフレンドリーに「しゃべり言葉」で文章を書いて「自分らしさ」を出したいという人もいるでしょう。
それは文章を書く人の好き嫌いがありますから、どっちが良いかは書く人が選ぶことでしょう。
しかし文章を「しゃべり言葉」で書くと、読む人にとってミスリードの可能性や、書き手が想定していたことと正反対の文意に取られる可能性が非常に高くなります。もっと言えば「しゃべり言葉」で書くと、あなたが何を書きたいのかわからない人もいるでしょう。
ということは「しゃべり言葉」で文章を書くと「あなたが何を書きたいのかわからないから、誰も読んでくれない」ことになる可能性があります。


「しゃべり言葉」で文章を書いてる人はそれが「自分らしい」言葉だと思って書いてませんか?
でも「自分らしい」言葉では相手に理解してもらえないこともあります。
「自分らしさ」を出して相手から誤解されたり、相手にさえしてもらえなかったりしたら、どうですか?
悲しくないですか?
「俺を理解できないこの世の中のヤツラヲコノバクダンデ…」と憎しみを抱いたりしませんか?


そしてもっと厳しいことを書くなら、「自分らしさ」という言葉で楽をしようとしてませんか?
「自分らしさ」という言葉で困難な道から逃げてませんか?
口語体で、文意をしっかり伝える文章を書くことはとても大変な作業です。
だからやっぱり書くトレーニングが必要です。
そのトレーニングから眼を背け、「自分らしさ」という言葉で誤魔化して楽な道を選んでませんか?


楽な道を選ぶのも個人の自由です。そうしたい人を自分は非難なんてしません。
しかし楽な道で得られるモノって、やっぱり楽な道なりのモノなんですよ。
そこをあえて厳しい道を選んだ人だけが素晴らしい宝を得られるのだと自分は考えます。


人に読んでもらう文章を書きたいのなら、少なくとも相手に何が言いたいか、伝えたいかの努力はした方がいいです。
その努力を放っておいて「自分の文章は誰にも読まれない」と悲観するのは、自分は筋違いだと思います。


さぁ、自分ももっともっと努力しなくちゃ。
この程度の文章しか書けないくせにという意見もあると思いますが、人は考えただけ・思っただけだと忘れちゃうんですよ。
文章に書いたり言葉に出すことで、強い記憶として覚えるのですね。
だからこういう文章は自分自身に対して「こういうところに気を付けろ」と自覚をうながす意味で書いている部分があります。
そういう意味では自分自身に説教される自分自身、だったりします(笑)。