オタクとコミュニケーション。

今日はこの話題。

  • 〝おたく〟について。(ターザンカフェ)

http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/a/2005/20050720113424.htm


ターザン山本!の定義する「おたく」

ファンはまだ他者とのコミュニケーションを必要としているが〝おたく〟は、他者とのコミュニケーションを別に必要としていない。

は少し違うんじゃないかなぁ。
だって「おたく」は「あなた」という二人称の語りかけが語源だと言われてるし。
(諸説ありますが)
あなたと語りかける以上、おたくも他者とのコミュニケーションを必要としているのではないかなぁ。


言葉がちょっとややこしいけれど、「世間が一般的に考える"おたく"の姿」を自分が定義するとこんな感じ。

世界で自分が一番だと思っている。
自分は世界に受け入れられるべきだと思っている。
他人と自分を比較し、自分が一番であることを証明するため、自分をチヤホヤしてくれるだけのために他人は存在する。
しかし他人と比較され、自分が一番ではないことを直視すること、他人をチヤホヤすることは極端に嫌う。
そして自分が傷つくことが一番怖い。
失敗し、恥をかくことを極度に恐れている。
だから「失敗せず、恥をかくこともなく、自分を拒絶しない世界」に活動の場を求める。
アニメを視聴する、マンガを読む、ゲームをプレイする、フィギュアやカードなどをコレクションする、などといった受動的で、世間が一般的に考える"おたく"の趣味には、基本的に失敗や恥をかくことや厳しい競争や受け入れの拒絶はない。
"おたく"の趣味とは優しい世界。
その閉ざされた優しい世界の中で自分の存在を確認するために「おたく」と他者に語りかける。

つまり我が強いけれど自己存在を証明できるほどのチカラはなく、傷つくことを極端に恐れるナイーブな人々。
…それって碇シンジじゃん(笑)。


自分はこう書きましたが、あくまでこれは「世間が一般的に考える"おたく"の姿」で、自分が考える"おたく"の姿とは違います。
自分が考える"おたく"の姿は以前この日記で書いた「オタク類型マップ」のそれ。
http://d.hatena.ne.jp/bolt69/20050704
さっき書いた"おたく"の姿って、C群の人たちに当てはまると思います。


そこで思ったのは「C群=オタク」であるなら、A・B・D群の人々は一体どう定義すればいいのか。
自分はA・B・D群の人たちもオタクだと思っているので、C群だけ抜き出されて「これがオタクだ!!」と言われても違和感があるわけです。
それとも世間ではA・B・D群の人たちをオタクとは呼ばないのかしら?