オタク類型マップ

朝、自転車に乗りながらラジオを聴いていると、「全国統一オタク検定試験」の話題が。

http://www.otaken.jp/index.htm


パーソナリティの反応は「知識の多い人=オタク」みたいな扱いでそれを聴いてるうちに疑問が。
果たしてオタクとは知識の量で測れるものなのだろうか? と。
そこでこういうマップを作ってみました。

  • 「オタク類型マップ」(ボルト作)

http://bolt69.web.infoseek.co.jp/otamap.jpg
横軸に「能動〜受動」、縦軸に「外向〜内向」をとり、オタクを類型的に定義してみようかという試み。
こういう類型マップにありがちですが(笑)、オタクのタイプをあえて4群にわけて考えてみたいと思います。


<A群>
ここでいう能動的っていうのは「無ければ自分で作っちゃう」とか「描いちゃう」ような人。
それが外向的、つまり社会に向かってる人。ここでいう外向的とは表現活動であったり、社会的貢献って感じで。
で、A群に属する人って、アーティストとかフリーソフトの作家、ベンチャービジネスの起業家ではないかと。
あと同人・ガレキ作家でも商業的な活動としてやってる人はこっちに入るかと思います。


<B群>
A群とは違い、内向的、内に向かってる人。その内向きってのは仲間内とかジャンル内、個人的ということで、あまり広く外に向いていないって感じ。
同人・ガレキ作家、ミニコミ誌や鉄道・無線の会報を作ったりしてるような人がここに入るかと。


<C群>
ここでいう受動的っていうのは、自分で何かを作るわけではなく、与えられるものを待つようなって感じ。
で、それが外に向かってると。
どういうことかというと、流行してるもの・話題になってるものにとりあえず飛びついて押さえておくような人々。
例えば「エウレカ7が流行ってる、イチオシ!!」とか聞くととりあえず観てみるような人。
「とりあえず押さえておく」情報量が多いだけに、ものすごい知識量を誇ります。
オタク検定で浮き彫りになるのはこの層じゃないでしょうか。


<D群>
流行り廃りに惑わされず、とにかく一点集中型の人。
いまだにセーラームーン、それも一番初期とかのファンを続けているような人。
ガンダムでもSEEDじゃなくファースト原理主義みたいな人。
いわゆる「濃い人」がここに入るんじゃないかしら。


ラジオだと「オタク=C群」みたいな話だったので違和感があったんですが、オタクって本当はA〜D群までの要素をすべて兼ね備えてるような人だと自分は思うのですね。
それぞれの群の要素だけを持ってる人はオタクじゃなくマニアだと。


オタクも今や一大消費基盤で商業主義から狙い撃ちされてるんですが、その中にあって一番いいカモはC群に属してる人たちではないでしょうか。
何しろ金払いがいい。気前がいい。
限定版、特装版、美麗版、などと版を変えるだけで、中身は一緒なのにとりあえず買ってくれるし。


昔はC群の中にも目利きはいたんですね。岡田斗司夫がいうところの「3つの眼」を持った人たちが。
でも2005年現在、その数は絶滅種に近い状態ではないかと。
「3つの眼」を持った人間が少なくなった理由は「萌え」と関係があると自分は思ってます。
(「萌え」ってのは思考停止を誘う魔法の言葉なんですよ)


版を変えただけで中身が一緒の本を買う理由があるかというと、それはもちろんあります。
その理由を自覚し、説明できるのが「3つの眼」を持つ人間と持たない人間との差だと思います。
この辺若いオタクは岡田斗司夫の『オタク学入門』を読むように。


で、どうして自分が世間で言われるところの「オタク」という言葉にイライラするかというと、「オタク=コレクター」という定義でしか語られていないからなんですね。
そこにはA群やB群といったクリエイティビティの要素がスッポリ抜け落ちてる。
「無いなら作る」っていう、オタクが元々持っていたメンタリティやクリエイティブな面になぜか誰も言及しようとしない。
オタクを消費者という面でしか語らない。
そこに「商売」が見えて自分はイライラするのですね。
もっとクリエイティブの側面からオタクが語られてもいいはずなのになぁと。


本来はもっと熟慮を重ねた上で類型マップや群の定義をしなくちゃいかんのだろうけれど、これが誰かの思考のとっかかりになってくれればと思います。
もっと上手く説明できる人、反論がある人、どしどしどうぞ。