ターザン山本!VS電車男

ターザン山本!が『電車男』を斬る!!

http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/a/2005/20050620080930.htm

http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/a/2005/20050621231234.htm

http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/a/2005/20050622102425.htm

あの〝電車男〟の世界は何もかもが不思議なのだ。ネット特有のバーチャルコミュニケーションじゃないのか?

そうなんですよねぇ。普通に常識的なアタマで考えれば"ありえない状況"なんだから、バーチャルコミュニケーションと斬り捨てるのもあり。
電車男』がフィクションかノンフィクションかを決めるのは、実は読み手であり観客であるわけです。
電車男』が一般的に評価されてる理由って、この話がノンフィクションだというところだと思うのですね。
ノンフィクションの奇跡の愛のドラマだと。
でも実際、この話は虚構か現実かわからない。
この話をフィクションだと考えると物凄く"駄"な話なんですよ。
恋愛シンドロームに取り憑かれた人たちの欲求を充足させるためのドラマ。


「恋愛しなくちゃ」「恋人を作らなくちゃ」「恋愛していない私は変なのかしら」という、恋愛することに取り憑かれることを恋愛シンドロームと言うと思うのですね。
恋愛というのは自分は手段だと思うのですが、恋愛シンドロームにかかっている人たちにはそれが目的になってしまってる。
恋愛というのが今や産業化・商業化してしまったことに気づかず、せっせと恋愛産業におカネを落としてる。


オタクって恋愛産業からしてみれば敵なんですよ。だって恋愛産業におカネを落とさないから。その代わり萌え産業におカネを貢いでるわけですが(笑)。
自分は『電車男』って、恋愛産業側から仕掛けられたテロだと思うんですよ。


ちょっとオタクをやめちゃえば、中谷美紀と恋が出来るのよ。
それはとてもとても気持ちのいい世界なのよ。


どっかで聞いたエヴァンゲリオンのセリフみたいですが(笑)。
でも萌え産業から恋愛産業に転向してみても、まってるのは恋愛の幻想だけ。
あなたに恋人が出来ないのはこの美容液を使ってないからだ、この車を持ってないからだ、この服を着てないからだという、マルチ商法も真っ青の永遠のおカネのお布施。


その点で言うと「電車男は負け組だ!!」と著書『電波男』で電車男を斬り捨てる本田透氏のメンタリティはオタクとしてはまことに正しい(笑)。
いや、本当に正しい。
でもそれは逆にオタクは萌え産業の奴隷という見方もできるんですけれども。
フィギュア買え〜、DVD買え〜、萌えマンガ買え〜という、萌え産業の奴隷。


現在『電波男』の二匹目のドジョウを狙う作品が出版されたりしてますが、それらのほとんどが「恋愛産業のテロ」という見方で斬って捨てることができるのが面白い。
恋愛産業のテロの果てにオタクは生き残れるか?


あ、自分の電車男への感想は、大木こだまのこのギャグをもってして感想とさせていただきます。
そんなヤツおらへんやろぉ〜?