「言って委員会」見ました。

朝、ラジオを聞いてると、物忘れが激しいという話題。
なかなか言葉が出てこないというパーソナリティに、物忘れがひどいですねとアシスタントがつっこむと、「人を認知症みたいにいいなさんな」という切り返し。


言葉を狩るっていうのはあまり意味がないと思うのですね。
「痴呆症」じゃ語感が悪いからと「認知症」という言葉に置き換えてみても、結局このパーソナリティのように「認知症」という言葉をギャグとはいえ、ネガティブなイメージで使うのだから。
言葉を狩っても仕方ない。


自分が4コマ『人権第9課』の#3で書きたかったのは、言葉を狩っても、イメージというか芯みたいなことは狩れないということなんですね。「言葉狩り」はあまりにも表層的で、モノの本質に踏み込んだ対策になってない。
言葉に意味づけをするのは人間なのだから、人間の方を変える方法を考えないといけないんじゃないかなぁと思います。


13日に放送された『たかじんのそこまで言って委員会』を遅ればせながら視聴。
今回はスタジオに「2ちゃんねらー」を集めて2ちゃんねるのことについてワイワイとやってました。


そこでかわされていた2ちゃんねらー2ちゃんねる評の内容にはあまり意味がないと思います。
田嶋陽子を目の前にして「フェミニズムはもういいんじゃないか?」と啖呵を切ったはいいけれど、田嶋陽子に「どういいと思うの?」と切りかえされて、ヘビに睨まれた蛙のようになってしまい、無様な姿を晒した2ちゃんねらーを笑っても意味がないと思うし。


それよりも今回は日曜のお昼の地上波の番組で2ちゃんねるが取り上げられたことに意味があるんじゃないかと思います。
今まではなんとなく「2ちゃんねるを見ている」と発言するのはタブー視される傾向があり、みんな知ってるけれど知らない、言いたいけれど言わないというふうにしてきたと思うんですね。
しかし今回は司会のやしきたかじんをはじめ、みんな見ている、書きこんだこともあるとカミングアウト。これが今回の番組で一番大きな意味があったんじゃないかなぁと思います。


みんなが見ている、みんなが書き込んでいるということは、すでにパブリックメディアのひとつになってると思うんですね。
それだったら存在を知らないふりをするよりはある意味パブリックな場所だと認めてしまった方が、自浄作用が働くんじゃないかという宮崎哲弥の意見に自分は賛成です。
パブリックな場所の自浄作用ってのは結構期待できますし。
だからアングラ、アングラと言ってるよりは、いっそ大々的に日の光に当てちゃった方がいいんじゃないかと思います。その方が影の部分が減るんじゃないかなぁ。


まぁ、影がなくなると困る人たちもいると思いますが。