新聞も商売。

中華料理屋で新聞各紙を読んでいてふと考える。
「殺人事件の報道って何の意味があるんだろうか? 報道する必要があるのだろうか?」と。


というのも最近の殺人事件の報道って、被害者の名前・住所・職業はバッチリ報道され、あまつさえプライバシーまで根ほり葉ほり報道されるのに対し、加害者の方は名前も出ないことの方が多い。
この傾向は殺人事件だけに関してだけではなくなってきてる。
それならそういう事件は何のために報道されるのか? と。
人権擁護法案にはマスコミから犯罪被害者のプライバシーを救済するという役割もあるので、それとあわせてバカなアタマをぼんやり働かせて考えてみた。


犯罪、とりわけ殺人事件が報道されるのは次の六つの役割からだろうか。
(自分のおバカなアタマ考えによる)


①犯罪抑止の啓蒙。
②犯罪予防の情報提供。
③情報を集めるための呼びかけ。
④加害者への社会的制裁。
⑤被害者への同情。
⑥話題性。


①悪いことをしたヤツは必ず捕まるという報道をすることで、犯罪抑止を啓蒙するもの。


②犯罪の情報を社会に提供することで犯罪を防止する。


③事件があったことを知らせることで目撃者を募ったり、犯罪に関する情報提供を受け、犯人検挙や事件の真相解明をおこなう。


④加害者の写真や名前を出すことで社会的制裁をおこなう。①と関連するけれど、制裁による犯罪抑止効果。


⑤被害者に対する同情の声を集めることで、被害者の心の痛みをやわらげる。


⑥昔から殺人事件っていうのは話題性があります。奈良の女児殺害事件なんかは事件が異様だったから注目を浴びましたね。


ざっと六つの意味があると思うのですが、今の殺人事件の報道って①から⑤までの意味がスッポリ抜け落ちていて、⑥だけが異様に強調されていると思うのです。
⑥だけが強調されるために、加害者だけではなく被害者のプライバシーまで暴き立て、スキャンダリズムを煽り、問題になっているわけです。
加害者のプライバシーは保護されているけれど、被害者のプライバシーは保護されていない。だから情報を取りやすいところから取るようになり、それが被害者を二次的に傷つけることになるのです。


なぜ我々は犯罪の報道を必要とするのか。それは①〜⑥の役目があるからだと思うのですね。
でも今や⑥の役割だけのスキャンダリズムであるなら必要ないんじゃないかと。


被害者名は載ってるのに加害者名は載っていない新聞を読んでいて、ふとそう考えました。


まぁ、どうしてそういうふうになるのかはわかってるんですけどね。
新聞やテレビは公器をうたってはいても、その正体は商売ですから。
事件にも商売になる事件とならない事件があって、殺人事件なんかは商売になる方の事件。だからスキャンダリズムで大々的に売り出すわけです。
つまり


⑦商売。


って役割が一番デカイのだと思いますよ。
で、一番デカイ役割の⑦を新聞やテレビは隠そうとしてるんですが、もう今となっては隠しきれないでしょう。


フジテレビの日枝会長が公器、公器と言うのに対し、薄ら寒さを感じる今日この頃。