ヒトのカタチ。

録画しておいた『西部警察』を見ようと思ったけど、イントロの部分で体力を使い果たしちゃった。また後日。
その代わりにスーパーテレビ情報最前線の警察密着24時間の方を見る。
高速道路ではクルマはどう挙動するのか、ドライバーはそのときどういう状態になるのか、わかりやすく説明していたのでついつい見てしまいました。
ああいうプロファイリングみたいなのが好きな人にはマンガ『交通事故鑑定人環倫一郎』(発行:小学館)がおすすめ。ドライバーの人はクルマへの向き合い方が変わると思います。


攻殻機動隊 S.A.C 2ndGIG』を八巻まで視聴。
七巻の第十三話「顔 MAKE UP」すごく面白かったなぁ。コスプレする人のアイデンティティってあんなのかもしれない。究極の愛かもしれんね(笑)。
「個別の十一人」事件もまだまだ序盤戦なので今後が楽しみです。


で、攻殻の世界では「メガネっ娘」は存在するのだろうかと、ふとくだらないことも考える。
というのも擬体化が進み、ナノテクノロジーやマイクロマシンが進歩した世界では近視や遠視は存在しないだろうから。
そうするとメガネには視力矯正といった実用的な役割がなくなり、ファッションやデザインという意味しか存在しなくなる。
そのときメガネはデザインやファッションだけで生き残れるのだろうか?
そしてそのデザインやファッションだけでメガネっ娘萌えの方々は萌えることができるのだろうか?


その辺の考察はメガネっ娘萌えの方々にお任せするとして、攻殻の世界では究極的には「目」すらも意味を持たないはずで、目に変わる知覚感知システムがあれば目すらもいらないんじゃないだろうか。
それじゃあ究極的には人は人の姿をしている必要もないわけで、マンガでは実際箱形の擬体になった社長も登場している。
なぜ擬体は人の姿になっているのかの話も単行本に描かれていたと思うんだけど、手元に本がないから確認しようがない。
(確認したらまた書きます。すいません。)


人の姿もデザインにしかすぎない世界では「萌え」という感情は残るのだろうかなぁと書いたところでまとまらなくなったので終わり。


PS


よくよく考えたらこの話、映画『イノセンス』のことですね(笑)。