ルナティック

連休なので、家で映画を観ながらお酒を飲んでたら、焼酎の五合瓶を一本空けた上に徹夜。
昼まで寝てました。
『ロック・ユー!』はスカッとする映画なので大好きです。


狂気について色々考える。


表現者にはある種の狂気が必要だと思うのですね。
それは異能と呼び変えてもいいものです。
表現に狂気や異能がペロッと引っ付いてるものに人は魅了される。


しかし狂気や異能をはき違えてる人が多いんではないかと。
狂気とは攻撃性のことではないし、異能とは他者を見下すことではない。
他人や社会に攻撃性をもって毒づき、傷つけることは狂気ではない。単なるキチガイか社会生活からスポイルされた人間のやることだ。
批評家面して他者を貶し、自分の地位が高いように見せかけるのは異能でもなんでもない。ましてや批評でも評論でもない。ただの自己顕示欲だ。


例えばウチのページ。
ヘタクソながら6年間で2,400本も4コマを描き続けるのはある意味狂気の沙汰だし、異能だと思う。
そのときの狂気や異能は「バカなことをやり続ける継続性」のことだ。
継続も立派な狂気だし異能になりうる。


絶対王者小橋建太の練習量と肉体には狂気や異能を感じるし、島田紳助松本人志のお笑い、イチローのバッティングにも狂気を感じる。
そう考えると狂気とは、何かを追求し続ける姿勢のことだと思う。
何かを追求し続けるから、他の何かが疎かになってしまう。
なぜなら、人は何かを大切に持とうとしたら両手でひとつのモノしか持てないから。
ひとつしか持てないから、疎かになるから、人間性が破綻してるように見える。


その表面に見えてる人間性の破綻を真似て狂気でございと言ってる人が多いように感じる。
しかしそういう人は何かを追求してるわけじゃないから、もの凄く薄っぺらで正体が透けて見える。
すぐに楽な道に行こうとして本道から外れてしまうからすぐにバレる。
そしていつでも他人にも自分にも言い訳をしてる。
時間がない、忙しい、気乗りしない、遊びに行ってたから、ゲームしてたから、俺のチカラはこんなもんじゃないんだ、etc、etc。


狂気とは追求であるから、目の前の道が険しければ、あえてその道を時速300km/hで突っ切ってでもその先に行こうとする。
なぜなら楽な道には楽なりの、それなりのチンケなものしかないことを知ってるから。
そして言い訳をしない。
言い訳をしてる時間すら惜しいから。
もっと高く、長く、早く、遠く、強く、面白く、己を叱咤し続ける。
そのことに楽しみを見いだせる人だけが、本当の狂気や異能を身にまとえるのだと思う。


狂気のフリをしてる人にはたくさん出会ってきたけど、本当の狂気を持った人は片手でさえ余る。
狂気がホンモノかどうか見分けるのは簡単。
フリをしてる人はいつでも抜き身のカタナをこれ見よがしにブラブラさせてる。
しかもそのカタナは研いでないので、サビが浮いてるし刃こぼれして刃が潰れてるので、叩くことは出来るかもしれないけど斬れない。
ホンモノの人は丁寧にキチンと研いだドスを懐に忍ばせておいて、ここ一番というときにしか抜かない。しかも抜いたら一刀両断の切れ味。


狂気とはいったい何か。
狂気のフリをしてる人にドスを突き付けてみたいと思います。