感想は感想でいいと思う。

先日書いた「批評に必要な6つの条件」、様々なページで取り上げていただいてありがとうございます。
"批評"と"感想"との違いも説明しなきゃなぁとは思いますが、またそれはそのうちに。
そのかわりに、批評家きどりの人間が陥りがちな悪文の書き方を。


①比較すべき古今東西の作品への幅広い知識がなく、己の嗜好する偏った作品と比べたがる。で、「○○じゃないからダメだ」というダメ出しをする。


②人が言ってるのだから悪い物だろうと考える主体の無さ。世間の評価への迎合。「○○氏はこう言ってる」と責任転嫁をおこなう。


③どこがどう悪いのか具体的に説明出来ない。感覚的にダメ出しをする。悪い点を具体的に説明できないので、どうすればその作品が昇華できるのかという案を出せない。反対意見しか出せない。「ダメ」としか言えない。対案を出せない。感覚的にしかものを言えない。
(アニメなんかで作画が悪いのは誰が見ても悪いのだと理解できる。どうして悪くなったのか、どこが悪いのか、どうすれば良くなるのかを説明できるのが"批評"で、「悪い」と感覚的に斬り捨てるのは"感想"だと思う)


④過去の作品に固執し、新しい形態・仕様・発想・方法は絶対に認めない。過去作品の模倣でないと許せない。しかし模倣すると「これは○○のパクリ」と悦に入った表情で語り出し、パクリがわかったオレって偉いだろう?とふんぞり返る。
(表現としてのパロディやオマージュもあるわけだし、手法が固定化することにより文法化することもあるのに、過去作品に似てるのはすべてパクリと決めつける。批評は間違い探しやパクリ探しといった揚げ足取りではない)


⑤新しい表現や、自分には受け入れられないもの、わからないものがある場合はすべて駄作と評価する。


⑥文章力がなく、読んでる人間には何がいいたいのかよくわからない。とりあえずわかるのは「オレ様は偉い!!」という自分語りのみ。


感想は感覚的であってもいいと思うけれど、批評は感覚的であってはいけないと思う。


この辺から日記。


お手軽に作れる中華スープ。
鍋に適当にお湯を沸かし、塩・こしょう・醤油・味覇(ウェイパー)を入れる。あとはお好みによって具を投入。自分の場合はコンビニで調達した具材(タマゴ、もやし、春雨など)を使います。
ちょっと量を食べたいなというときには薄目の中華スープを作り、中華ちゃんこ鍋に。もちろん具材はコンビニで調達。具材がなんであれ、結構何にでもあうスープなので重宝します。


自分が味覇(ウェイパー)を知ったのは一条ゆかり氏のマンガで、紹介されていたレシピで中華スープを作ったら本当においしかったので、それ以来ウェイパーを使ってます。チャーハンや焼きそばを作るときにも使うと味がグッと深く変わるので重宝してます。
ただ、ウェイパーは独り者だとちょっと量が多いのですね。250gってのもあるんですがあまり見かけないので。


銀のエンゼル』のオープニング曲、GOING UNDER GROUNDの『トワイライト』をダウンロード購入。パソコンでの作業中に聴きまくってます。テンションが上がるいい曲だなぁ。今度アルバムを買おうっと。


映画の帰りにヨドバシカメラに寄ったら、いまだにPSP本体が入荷してなかった。本当に売る気あるんだろうか。再出荷される頃には忘れられてるんじゃないだろうか。
たくさんの小さな子どもがニンテンドーDSの試供品を触ってるのに対し、PSPの試供品は大きなお友だちが独占していて手放さないのがDS対PSPの結果を暗示してるように思いました。